エロゲのエンド論
エロゲの他者性論
ロリコンファル - エロゲの入り込んだ絶望的な袋小路について −エロゲ最大の問題−
極めて図式的な作品が非常に増えて、図式から逸脱しないように、逸脱しないようにと気を配っている作品が、現状の萌え系エロゲのほぼ大半を占めているわけで、陵辱ゲーの一部ぐらいにしか、物語に逸脱的な要素、動的な要素が取り込めなくなっている部分があります。
この問題(他者性を排除して、なお他者性を表現するにはどうしたらいいか)こそエロゲの最大の問題と思っております。この辺の袋小路を脱するお考えおありでしたら、ぜひお聞かせくださると嬉しいです。
確かにそれはありますね。「age(アージュ)作品や下級生2なんかが、あれだけバッシング受けてしまう」のは、現代エロゲで最重要視されるのは、ヒロインの処女性・純潔性だからですね。ヒロインが非処女だったり、浮気などで裏切ったりするのは、プレイヤ的には許せない、となるでしょう。
エロゲのヒロインは、美少女だったらどんなに変でも構わないし、むしろ少し壊れている娘の方が、気持ち良く受け入れられるところがあります。例えば、小流行している「ヤンデレ」などは、狂気によって、かえって純愛性を強調しています。たいていの場合、どんなに狂っていても、なぜか浮気は絶対しない。だから、実はヤンデレキャラは狂気(精神病)ではなく、強迫(神経症)に近い位置にあると考えています。
さて、他者性を排除しつつ回帰させる、という背反した命題をどう実現するか、という話に入りますが、これはゲームの選択肢による複数性を利用する形になると思います。メインヒロインやグッドエンドでは、他者性を排除して、お約束の図式を確保しておいて、サブヒロインやバッドエンドで回収しようという戦略です。まあ妥協案ではありますが、この辺りに脱出口を求めます。
エロゲのエンド論
- トゥルーエンド
- グッドエンド
- ハッピーエンド
- ノーマルエンド
- バッドエンド
ここで、エンディングの種類を少し整理しましょう。ノーマルやバッドは文字通りの意味ですが、「トゥルー」「グッド」「ハッピー*1」の違いは何でしょうか*2。
グッドというのは端的に他者をハッピーにすることで、ハッピーとグッドの違いは、その要素があるかないかだと思います。例えば、アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』はグッドエンドだから、あのENDがずっと語り継がれているのでしょう。ハッピーエンドとグッドエンドの差がない、同じ意味になっているシナリオは、つまり他者がいない(視野にない)ということだと思います。
グッドとトゥルーの違いで、もの凄く有名かつ簡単な例は、ゲーム『たけしの挑戦状』のENDにおける、「えらいっ」の後に表示される、「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」でしょう。「えらいっ」がグッドで、「こんなげーむ〜」がトゥルーです。もう少し真面目な例でいうと、『ボンバーマン』のラストで、ボンバーマンがロードランナーになるのは、トゥルーエンド的です。すなわち、世界の真相が明らかにされます。
バッドエンドに花束を
いよいよ、核心に迫りますが、エロゲにおいて他者性が回帰する裏口は、バッドエンドにあると思います。実際エロゲをやっていて、バッドエンド(またはサブヒロイン)の方が、魅力的だったりする経験がよくあります。それは、予定調和的でないからでしょう。ハッピーはワンパターンですが、バッドは多種多様です*3。
例えば、『ひぐらしがなく頃に』は、予定調和化する終盤の展開よりも、序盤(鬼隠し編)の方が、面白いと思います。また、『SchoolDays』の「鮮血の結末」EDは、(もしかしたらゲーム自体より)有名になりました。少し前のギャルゲ『ダブルキャスト』でも、登場人物が皆殺しにされるバッドエンドの方が、強烈で印象に残ります。もちろん、昔の選択肢型ADVなら、一発死的バッドエンドはもっと多いでしょう。
だから、ユーザの嗜好に合わせてエロゲの展開がワンパターン(SNEG)になり過ぎる問題については、バッドエンドで多様性を出していく、というのが現実的解ではないかと考えています。他には二次創作で補完する道もありえますが、エロゲの二次創作は(葉・鍵・月以外は)少ない*4ため、作品内で描くしかないでしょう。バッドエンドでも叩かれるのは叩かれますが、回避性があるため、まだしも実現可能です。