最近の陵辱エロゲの喘ぎが奇妙に進化したのは

ディオニュソス的な解放だったという説

ロリコンファル - 生のエロゲ「姫騎士アンジェリカ」 −解放のむぉおおおぉ〜ん!!−

デュオニュソス的なものとアポロン的なものの調和と対立の中で、芸術は高まっていくということを、ニーチェは述べている。

アポロン的・イデア的な、統合された真善美の静的構図秩序の圧倒的な勢力下にある現今のオタク文化に対し、セックスを力強く描くデュオニュソス的なエロゲが、解毒剤かつ、生(性)の楽しきものとして現れるものと思っております。

メロメロぉ〜ん!ぁあああ あぉぁあああ あぉぁぁ゛ぁ゛ん、
私のぉおお全てを染めぁああああぉげてぇ〜ん!
(シルキーズ「姫騎士アンジェリカ」)

なるほど…。静と動の図式だけではなくて、陵辱エロゲの卑語を例示する指摘が、屈指のエロゲーマであるkagamiさんならではで、さすがだと思いました。

というのも以前、エロゲのシナリオライターの方と、少しだけチャットのようなものをする機会があって、そこで、エロゲは画像や音声や操作系がどんどん進化しているが、文章は(長編化以外に)何が進化したか、と私は聞いたのですが、(陵辱系は)卑語が過激になっている、というようなお答えを頂きました。とてもシンプルですが、確かにそんな印象があったので、納得の行く答えでした。そして今、このように一致したので、これはエロゲにとって些末な事ではないと感じました*1

それはイベントCGがアニメーション*2するようになったのと同じで、生命を与えて動かす(アニマ)ことを文章で行ったのだと考えています。ボイスが入るようになったから演劇的に過剰になったとか、色々な要因があると思いますが、エロゲの過剰さが表現としてそこに現れていると思います。ノベルゲーム全盛以前のコマンド型ADVの時代に、主人公がやたら理屈を並べてヒロインと口げんかしたりする場面がよく見られましたが、現代エロゲでの過剰さはまた別に移行しています。

コピペ=図式化とのいたちごっこ

ただ、陵辱エロゲなら動的とか、卑語を並べるとディオニュソス的になる、という単純な問題ではなくて、もう少し複雑な事情があると思います。それはコピペ=図式とのいたちごっこです。上の「姫騎士アンジェリカ」の「メロメロぉ〜ん!」というのも、こうしてコピペしてしまうと、元の文脈から切り離され、生き生きとした躍動はなくなり、奇妙さ(笑い)だけが残ります。つまり、プレイ中に出会うから、動的な生命感を持っているのでしょう。

もう少し一般化すると、ギャルゲの語尾とエロゲの卑語の区別は、相対的なものでしかないと考えます。ギャルゲキャラは、「〜だにょ」「〜だりゅん」など語尾でキャラの個性を出しますが*3、卑語もパターンを繰り返せば、図式的になっていくでしょう。例えば「ひぎぃ」とかは、かなり図式化され消費されていますね。動的というのは、秩序からの絶えざる移動・逃走・抵抗・剰余…等として存在するのであって、どこかに落ち着ける場所が固定されているわけではありません。それは、真(善・美)なる体系に回収されないという定義上、宿命的なことです。

*1:お酒を浣腸する人 - ちゆ12歳 VNIのちゆも取り上げている。この記事では「あっち側」(マイナー)とされているが、このような文体は今ではもっと隆盛しているだろう

*2:例えば「AfterEffects」などのソフトを使用して加工する。通常のアニメと異なり一枚ずつ手書きしないので、動きをつけるための効率的な手法になっている

*3:ただし、長い時間を置いて繰り返すとむしろ時間の変化が目に見える。例えば、えみるが、「センチメンタルグラフティ2」で「えみりゅん語」を再び使う場面は、軽い感動すら覚える。これは絶えずランダムであろうとする卑語と対極的な位置にある