オタク文化は少年の成長物語から少女の属性消費へ向かう

少年の成長物語から少女の属性消費へ

ロリコンファル - エロゲの消費と、多層性を持った女の子 −属性と、蓄積と、エロス−

パッと見て、理解できるヒロインの美徳(=属性)しか受け容れられないようなところがオタク文化にはある。

オタク文化が、少女の属性を消費する、美少女に萌える方向に行く流れはありますね。属性は、アホ毛などの身体的特徴も、変な語尾や性格的特徴も、妹やメイドなどの人間関係も、いずれもパッと見で分かるモノです。パッと見で分からせるのが(キャラクター)デザインですが、デザイン性(空間の配置性)が強いのが、現代のオタク文化です。

瞬間的消費と蓄積的他者性は、それぞれ、前者は静、後者は動に対応しているところがありますね…。

その対は、少年の成長物語から少女の属性消費へ、という転換に現れているでしょう。静的な属性消費の典型的な形態は、「シスプリ」が分かりやすいと思います。もし妹たちが成長してしまうと、独立して兄=主人公=読者を必要としなくなるので、いつまでも妹が兄に依存する同じ図式から動けないわけです。もう少し一般的に言うと、ラブコメの主人公とヒロインが、いつまでたってもくっつかない構図ですね。

成長が不可能な時代に、どう人物の変化を描くか

そういう流れにあって、小説のように人物を重層的に描くのは、困難です。もう少し正確に言うと、昔の方が記号的な表現だとは思うけれど、アニメ・ゲームなどが進化してきても、小説・映画のような方向にはいかず、より属性消費を派手にする方向に行った、ということです。

そもそも成長・歴史が必要ない、というのが最近の流れです。例えば、「デスノート」のように、ゲームのルールを上手く使ったプレイヤーが勝つ設定だと、成長は関係なく、いきなり「新世界の神」を目指します。シンジが自分を世界に合わせよう(成長しよう)として上手くいかないのが「エヴァ」なんだけど、ライトが世界を自分に合わせよう(神になろう)とするのが「デスノ」です。

それでも、あえて人間の変化、物語の歴史性を描くなら、どうすればよいか。一つは、位置を反転して、少女に少年の役割を振ってしまう方向があります。これは戦闘美少女の系譜がそうでしょう。「Fate」は士郎が鞘でセイバーが剣だし、「ガンパレ」は厚志がヒロインで舞がヒーロー(逆ではない)です。

もう一つは、空虚さを描く方法があります。綾波系のキャラは空虚なので、鑑賞者の解釈を投影できるようになっています。これは実は前近代的な表現への回帰という面があるかもしれません。例えば能において、能面の表情は完全に静的なのだけれど、受け手が感情を投影すると、笑って見えたり怒って見えたりするという。

更に一つ挙げると、小説のように蓄積があるメディアから借りてきてしまう、パロディの方法があります。「一騎当千」は三国志がモチーフですし、「戦国ランス」は戦国時代がモチーフです。先に挙げた「Fate」はここでも当てはまり、様々な神話をモチーフにしています*1。ただこれは、相対的に厚みがあると錯覚させる見せ方の問題で、根本的に他者性を描くような作品は、やはり稀少だと思います。そしてまた、それはいつの時代、どんなジャンルでも稀少ではあります。

*1:それに最初にカードを引くところは、デスノのようなルール型の世界観だし、様々な要素が入っているのが、Fateの面白いところ