グッドエンドとハッピーエンドの違い

概要

主に美少女ゲーム・ノベルゲームを想定して、グッドエンドとハッピーエンドを別のものとして捉え、両者の違いを述べる。何が違うのだろうか?

分類・エンディングの主要6タイプ

  1. トゥルーエンド
    • 条件:世界の真相が判明
      • 例:(ベストに加え)主人公は、ラスボスが生き別れの兄弟であることを知る。
  2. グッド×ハッピーエンド(ベストエンド)
    • 条件:目的達成、かつ幸福
      • 例:主人公は、ラスボスを倒し、ヒロインと結ばれた。大団円。
  3. グッド×アンハッピーエンド(グッドエンド)
    • 条件:目的達成、かつ不幸
      • 例:主人公(ヒロイン)は、命を犠牲にして、ラスボスを倒し世界を救う。
  4. バッド×ハッピーエンド(ハッピーエンド)
    • 条件:目的達成失敗、かつ幸福
      • 例:主人公はヒロインと結ばれた。が、ラスボスの存在すら知らないまま。
  5. バッド×アンハッピーエンド(バッドエンド)
    • 条件:目的達成失敗、かつ不幸
      • 例・序盤:主人公は、ヒロインのパンチラに見とれて、車に轢かれて死ぬ。
      • 例・終盤:ラスボスに敗北して、主人公もヒロインも死ぬ。
  6. ノーマルエンド
    • 条件:目的達成/失敗・幸福/不幸のいずれでもない
      • 例:主人公はヒロインと変わらぬ日常を送る。世界の危機も知らずに……。


上の六分類はあくまで個人的な分類だが、なるべく一般的なエンディングのパターンに沿った。その上で、「グッド」と「ハッピー」を直交する概念として捉えている。

なお、作品全体の世界観から離れる「外伝エンド」(オマケエンド)については、その別世界観での目的や幸福の尺度によって、「外伝グッドエンド」「外伝バッドエンド」とする。たとえば、外伝的世界でいつもと変わらぬ日常を送るなら「外伝ノーマルエンド」。

解説・グッドエンドとハッピーエンドの違い

上記エンディングの六分類を見れば分かるように、グッドエンドとハッピーエンドの違いは、物語の目的を達成するかどうかと、主人公や登場人物が幸福かどうか、という違いだ。

ここで、物語上の目的は、たいてい「みんなの幸福」に関係ある。だから、さらに共通化すれば、全体の幸福と個の幸福、という全と個の対比になる。グッド・ハッピーエンドは、この両者の(弁証法的)対立が止揚されたベストエンドだ。

だがもちろん、このベストエンドが必ず用意されているとは限らない。特に、セカイ系作品では、ベストエンドを描けない、描くと破綻する場合がよくある。これは、「大きな物語」の凋落によって、全体と個の両立が難しいということの、ひとつの現れだと考える。

また、グッドが作者の意図、ハッピーは読者の期待、に沿う構図もありそうだ。ヤマなしオチなしイミなしの二次創作も、後者寄りの立場*1でエピソードを描いているだろう。

ただし、ふつうの学園ハーレムものでは、グッドとハッピーの分裂が起こりにくい。「異能者と戦う」「世界の危機」といった設定によって、主人公に等身大以上の全体的な目的・大義・使命といったものが生じ、グッドとハッピーの解離が生じうるわけだ。

トゥルーとノーマルの違いは、世界の真相に迫ったかどうかになる。また、トゥルーの方がベストより良いものだとは限らない。ファミコンソフト『たけしの挑戦状』で言えば、「えらいっ」がベストエンドで、その後の「こんなげーむにまじに〜」がトゥルーエンドだ*2

バッド・アンハッピーエンドは、序盤では落とし穴のようなトラップ的存在であることが多い。だが中〜終盤では、ヒロインの他者性が顕現する場合がある。たとえば、『ダブルキャスト』で主人公がヒロインに殺されるエンドがそうだ。ヤンデレは極端にしても、主人公以外と結ばれるのも他者性の現れだろう。

最後はヤンデレ論につなげてみよう。『ダブルキャスト』もだが、『スクールデイズ』『ひぐらしのなく頃に』など、有名なヤンデレキャラは、ゲームのヒロインに多そうだ。これは、ヤンデレとマルチエンディング(あるいはループもの)の相性が良いからだと考える。つまりゲームなら、主人公が殺されても、別のエンドがあるのだ。

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*1:成年向けの陵辱ものはバッド

*2:後者はメタフィクション的であるうえ、冗談半分で脱力するようなメッセージではある。しかし、「たけしの挑戦状」の意味に関わるのだから、ここでは外伝的エンド・オマケエンドではないと捉える