エロゲ主人公論の広がり

二つの主人公、二つの時間性

鬼畜ゲー主人公と上流階級ヒロイン −そこに山があるからだ−

鬼畜ゲー主人公ニーチェリアン
純愛ゲー主人公プラトニスト

エロゲの続編における主人公の切替の意味 −無限に停止する愛と無限

純愛系エロゲの、最終的には究極的な至福に到達して後はその永遠のゴールで静止する世界、
鬼畜系エロゲの、始まりは終わりの始まりで、終わりはまた始まりとなって、延々と時間が循環し続ける世界、


はっきり対比されていて興味深いです。(精神的)純愛をプラトニックラブと呼びますから純愛系主人公プラトニストなのは自然ですが、対してニーチェを持ってくるのが面白いところです。しかもそれは二つの時間性にも関係してくると。プラトンイデアのような真理=無時間の世界と、ニーチェ永劫回帰のような循環し続ける世界。エロゲなのにちょっと格好つけてる気もしますが、このように昔からある二つの永遠のイメージなのです。


恋愛・純愛系は浮気できず、ヒロインをとっかえひっかえできないので、続編でヒロインが交代すれば主人公も交代する流れになるのは当然なのですが、それだけではなく作品全体に無時間の思想があると思います。それが端的に現れているのは、不治の病それも死期が迫った(ような気配がある)ヒロインですね。死は完全な無時間ですから。


まあ最近はヒロインが元気なので病弱キャラはさすがに少ないでしょうが、それでも過去の思い出とか約束の話は多いと思うんですよ。回想とか約束というのは時間が止まっている世界なんです。妹とか幼馴染とかもそうですし、前世からの運命なんて壮大なものまでそうです。


対する陵辱・鬼畜系では循環型世界を好むというのも、確かにある傾向です。『河原崎家の一族』の世界観とかそうですね。遺作と臭作もキャラを継承しています。鬼作は気さくなおじさんですが、過去の主人公が憑依します。ちなみに『YU-NO』のようなタイプの作品はどうなるのか、という疑問は出てきます。多世界系の作品は反・永遠とでも分類されるでしょうか。

仮想現実シュミレーターとしての主人公

エロゲは心理描写の効率化から生まれた。

 要するに物語の楽しみ方が
『(仮想もしくは脚色された史実の)歴史』から『仮想現実の閲覧ができる小説』そして『仮想現実シュミレーター』へとどんどんシフトしていく過程で生まれたのがエロゲってことなんだな。


プレイヤーと主人公が同一化するためにパッとしない方が良いと。髪の毛が長いのもそうですね。それでも、プレイヤーと主人公の間に齟齬が出てくることがよくあって、「幸せは停滞を望み、成長は経過を急かす」構造や、主人公の過去の思い出はプレイヤーと共有できないという事情でそうなります。そこで主人公を記憶喪失にしたり色々な手法が生まれてきます。


それで、主人公が学生で舞台が学園なのは、むしろプレイヤーを記憶喪失にする方法でもあるのです。というのはですね、単に最大公約数の体験だからというだけでは浅いと思うんですよ。だって会社のサラリーマンだって最大公約数的じゃないですか。それにファンタジーの舞台なんか、絶対誰も体験していないけど、結構作品はあります。


エロゲをプレイするのは成人なので、学校の記憶はそんなに克明ではありません。そこに虚構が入り込む隙が出来るわけです。逆にですね…たとえば「今通ってるの職場を忠実に再現したエロゲ」とかあっても萎えるでしょう。そういえば『ガイナックス殺人事件』をガイナックスの人はどう思ったんでしょうか。