泣きゲにおける原罪としてのヒロイン

今北産業

一般萌え作品では主人公がもはや不在になりつつあります。
泣きゲのヒロインのトラウマについて考察します。
ヒロインは主人公にとっての原罪になります。

本編

マグロ化するエロゲ主人公 −神の境地−
反転するヒロインと主人公 −受動的な男と能動的な女−

萌えゲの世界だと、
主人公はもうアクティヴなことは何にもしないんですよ。

この主人公の姿、自らは動かないけど周囲を動かす姿って、
これは明らかに”神”ですよね。第一の不動の実体。

泣きゲ主人公が過剰にヒロインに共感
萌えゲ=ヒロイン達が過剰に主人公に共感


ロリコンファルさんが泣きゲ萌えゲの差を明確に整理しています。付け加えると、エロゲの場合は必ずHシーンが必要で、となると男も必要で、だから何もしない主人公もそのためにいます。対して一般向けの萌えコンテンツでは、主人公がいないかヒロインが主人公になることがあります。


例えば『あずまんが大王』ですね。作者の名前を題にもってくるのが象徴的ですが、男は世界に直接触れないんだけれど、萌えの期待によってキャラクターを動かしている(予定調和)という点では、確かに不動の実体になっています。ただもはや主人公というか、作者を介して読者=プレイヤーに移行していますね。


もちろんシスプリのように主人公がいることが多いのですが、G'sの原作では主人公の存在は薄かったですね。それに読者投票が主軸だったので、やはり男性が透明な存在になっています。萌え系四コマ以外に今期のアニメでも、ヒロイン主人公の作品がいくつかありますね。


では、やおいのようにヒロイン同士がくっつくかといえば、「ストロベリーパニック」はありますし、ふたなりものもありますが、BLほど盛んではないので、男女の非対称性が見られます。これについてはまた別の機会に考察します。


memoriaグループ - なぜ


ササキバラ・ゴウ〈美少女〉の現代史』と関係してるでしょうね。しかし泣きゲにおいては、むしろ主人公は(途中では)必ず失敗するというパターンがあります。もちろん完全な失敗だとバッドエンドになりますけど、途中までは、忘れているとか気付かないとか傷つけるとか、必ずといっていいほど何かの失敗を犯してます。そしてこの罪悪感の構造はまさしく「原罪」ですね。


つまり、ヒロインの(主人公に対する)トラウマは、遡行的に形成されるということです。主人公との対話の中で形成されたものを、原初にトラウマがあったかのように転倒して認識します。ここで、トラウマは捏造されたものだという批判がよくありますが、事後的に形成されるからといって即、虚偽だとか不要だとは限りません。例えばわれわれは、貨幣の価値は紙切れを貨幣と見なす約束事で成立していることを承知の上で使っています。


しかしこの生成(ジェネラル)の話は微妙なところです。今はややこしい話は避けましょう。とにかく何かヒロインが精神的問題を抱えていて、それは本当は漠然とした問題なんだけど、その原因を主人公の言動に投影します。例えばプレゼントをくれなかったとか、「あの時」のちょっとしたことが今のひどい現状の原因なのだという。


風が吹けば桶屋が儲かるというか、ヤクザの因縁みたいなものですが、主人公はその因果のドミノ倒しの責任を、完全に自分の原罪として受け入れます。そして涙を流して本気で後悔し謝罪するのです。そして、ヒロインも赦して受け入れます。二人は物語を共有します。つまり、二人は無意識の内に、ヒロインは主人公に傷付けられることを望み、主人公は傷付ける役割を引き受けた、というあのオイディプスの悲劇の構造が出現します。