二次創作の優位性(2)

なぜ二次創作の絵は良く見えるのか

同一人物が同一労力で描くと、一次創作より二次創作の絵のほうが、良く(上手く、面白く)見えるとしたら、なぜなのか。その原因を考察しよう。なお、以下の考え方は音楽や文章にもあてはまるが、最も分かりやすいため、絵で代表して説明したい。

前提自体を疑うこともできる。たとえば、「二次創作は流行に飛びついていて、読者に見る目がない、あるいはキャラ人気先行のために、不当に高く評価されている」というように。それもあるかもしれないが、既出の意見は、ここで改めて扱わない。

同人補完計画

「薄い線が重なったラフな絵」は、線を脳内補完しているためか、実力より上手く見えることがある。実際、イラストを描けば、クリーンナップしたとたんに、デッサンの歪みなどが露呈してしまう、「こんなはずじゃなかった」、といった経験を何度もするだろう。

そして、二次創作は集団で描かれるため、読者が千枚単位で見ていることも珍しくない。一日3枚見ていれば、一年で千枚を超えるからだ。それが記憶に残っている状態で見れば、「薄い線が重なったラフな絵」のように、「薄い記憶が重なったラフな映像」として脳内で処理されているのではないか。だから、上手く見える、というわけだ。

仮想的アニメ効果

だがそれでは、単なる錯覚に過ぎないのだろうか。より深く理解するため、次にアニメーションの例を出そう。アニメは、パラパラマンガの原理で、止まっている絵が動いて見える。同様に二次創作は、パラパラ(=何回も)イラストを見ているために、実際に動くわけではなくても、何らかの「アニマ(躍動感・生命感)」を感じるのではないだろうか。

アニメの絵をスローやコマ送りで見ると、絵の粗にけっこう気付く。もちろん、アニメは動いている状態で見るのだから、一枚ずつ分解した状態で評価しても仕様がない。そのこと自体はよいのだが、それは二次創作の問題と、下のように同じ構造をなす。

  • 一枚の絵ではなく、千枚単位で描かれた、アニメとして見ている状態
  • 一次創作ではなく、千枚単位で描かれた、二次創作として見ている状態

「良く見える」という価値がどこから来るかというと、一次創作(一枚単位)として見るか、二次創作(千枚単位)として見るかの、見方の違いから発生してくる。

二次創作の描き手は一人一人違う*1が、読者に記憶が蓄積するため、仮想的にアニメ効果が生じる。アニメが動きの中で大胆に形を崩すことができるように、二次創作では読者が飛躍を補完するので、思い切り細部を省略・デフォルメ可能だ。それによって、キャラクターに躍動感・生命感が生じる。

これが一次創作だと、それが省略やデフォルメなのかどうか、そもそもわからない。たとえば、「初音ミク」のキャラクターを赤く描いたら、大胆なアレンジだと見なされるが、オリジナルキャラクターを赤く描いても、それは単なる赤いキャラで、驚きがない。赤く描く手間は変わらないが、二次創作の場合は、アレンジの付加価値が生じる*2。そして、色だけでなく、あらゆる描き方が、同様に見なされうる。

アレンジ付加価値

さらにここで強調したいのは、そのデフォルメは、作者が意図的にするだけでなく、読者が見なす余地も大いにある、ということだ。それは、どういうことだろうか。

下の表で説明しよう。作品「a1・b1・c1」の作者Aが、作品「b1・b2・b3」の原作βを元に、二次創作b1を制作したとしよう。ここで、同一原作の「b1〜3」間の差が、上で言うアレンジ付加価値を生む。同一作者の「a〜c1」の変化は関係ない*3。たとえば、作者Aはどのキャラもただ赤く描いただけでも、他の作者のキャラが緑だと、βの二次創作だけ追う読者には、「b1」が斬新に見えるわけだ。

作者A 作者B 作者C
原作α 作品a1 作品a2 作品a3
原作β 作品b1 作品b2 作品b3
原作γ 作品c1 作品c2 作品c3

つまり、たとえ作者本人がワンパターンで前と同じように描いていたとしても、二次創作は他の作者との違いが目立つので、アレンジが利いて見える、ということだ。一人の作家の作品集に対して、一人のキャラクターのアンソロジー集というのは、その効果を利用している。意識して変化をつけなくても、手癖のような自然の個体差が、そのまま個性になる*4

上図は、実際には縦より横のほうがはるかに長く、たとえば「作品b10000」まで1万作品が並びうる。9999作品が緑に描く中で赤に描くと、成功か失敗かはともかく、印象に残るだろう。一人の作者が生み出せる作品は限界があるが、コミケやPixivなど創作環境が整った現在では、何万人単位で横並びが成立する。この「ロングテール」的環境から、アレンジの付加価値が出てくるのだ。

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*1:だから「仮想的」としたわけだが、アニメだって、同じ組織には属しているが、別のアニメータが描いているだろう

*2:ただし、この価値は読者の記憶資産が元手なので、初見の読者が赤いミクを見たら、ミクは赤いキャラだと認識して、アレンジだと見てくれない

*3:もちろん、その作者についている常連読者には関係ある。もっとも、毎回違う二次創作をやれば飽きないだろう

*4:これを個性と認めるかどうかで、意見が分かれるところだろう。たとえば、赤いクレヨンしかなかったので、絵の全てを赤く塗ったら、評論家に評価された児童、という明石家さんまの話がある。これはたしかに真の個性と認めがたい気がするだろう。しかし一方、チューブの絵の具の発明で、画家達が戸外に出かけ光を描くようになった、というのは個性と認めるだろう。グラデーションがありそうだ