なぜ『東方』は二次創作が流行したのか

概要

なぜ『東方』の同人誌はエロが少ないのか? - 萌え理論Blog

東方同人誌においては、男性版やおい、すなわち女性キャラクター同士の同性愛的友情が主眼になっている

同人ショップを調査した結果を見ると、『東方』は一般向けの比率が際だって高いことが判明した。前回は、東方の二次創作の一般向け比率が高い理由を、「ユル百合」、すなわち、「女性キャラクター同士における友情以上・恋愛未満の関係性」を、東方が備えていることに求めた。

しかしこれは、既に東方の二次創作が隆盛を極めているのは当然の前提として、一般向けの比率が高い現状に対して、(ユル)百合だから成年向けを必要としない、という仮説を提出したものだ。ではなぜ、そもそも、東方の二次創作はかくも流行しているのだろうか。考察していこう。

考察

最初に結論を述べてしまうと、「二次創作を作りやすい、読みやすいから、流行した」という答えになる。しかしではなぜ、作りやすい(読みやすい)のか、という次の疑問が生じるだろう。そこで、その要素を見ていこう。

一次・二次創作流通量

動画サイト「ニコニコ動画」におけるIOSYSの動画が代表的で、そうした二次創作作品にアクセスしやすい環境がある。そこで、作り手に関しても受け手に関しても、作品を知っている分母数が大きくなる。つまり、原作の弾幕だけでなく、ニコ動の弾幕もある。

一般の同人では、この母体を大きくするのは、アニメ化されたときが多い。アニメは深夜であっても、多くの視聴者数を抱えている。そこでアニメ化されると、それを見た作者によって二次創作が作られる。そして、アニメは一定期間で放送を終了するので、ある程度のタイムラグはあるが、やがて流行も過ぎていく。

しかし、東方の場合、ニコ動や「Pixiv」のようなWebや「例大祭」のようなオンリーイベント、さらにライブなど、同人レベルでの完結性が強いため、二次創作コミュニティが持続するのではないだろうか。さて、ニコ動の流行は既に知られているので、ここではあまりくどく説明しない。次から設定と装飾というふたつの特徴を見ていく。

設定過剰性

東方では、物語の希薄さに対して、過剰に設定がされている*1。それが作りやすさ、読みやすさ(受け入れやすさ)につながる、という説を考える。どういうことか。

まず背景にあるのは、原作がSTGなので、物語性が薄いことが挙げられる。少なくとも、『ひぐらし』などに比べれば薄いだろう。

また、『東方文花帖』『東方求聞史紀』という、ファンブック・設定資料集が、商業出版されていることがある。ふつうは、アニメなりゲームなりの商業作が先行していて、それに対して後づけで出てくるものだ*2

このように、物語に対して設定が過剰だと、アレンジがしやすくなる。読み手側としても、受け入れやすくなる。これが逆に、設定が全く不明で物語の量が膨大だと、原作と二次創作で矛盾した部分が出てきやすくなる。

すると、読者は認知的不協和から、先例主義的に原作の記述と違うとして、二次創作の方を却下したくなるだろう。原作を忠実に再現すれば、違うとは言われないが、今度はアレンジの自由度が低くなる。

ここで、やはり同人界で大流行した『ひぐらし』と比較してみよう。ひぐらしでは、謎が吸引力になっている。これは、直接作りやすくなるのではなくて、謎に答えたいもしくは謎解きに参加したい、という動機の強化につながるだろう。

しかし、結論が出てしまった後で、今さらひぐらしの謎解きをしようとはならないだろう。先に述べたように、原作と比較して却下されやすい。残されているのは、外伝・番外・後日談的なエピソードを出す、という形だろう。ここで、ひぐらしが物語から設定を探していく謎解きゲームなのに対して、東方同人はその逆になっている。

同人史上の位置づけでは、物語の構築という点で、ひぐらしは『月姫』の流れを汲んでいる*3が、東方は断絶している。むしろ、東方は『初音ミク』(や『アイマス』)の方に近いだろう。初音ミクには物語がなく、最低限の設定と外見的特徴のみで二次創作が作られている。

初音ミクに比べれば、物語や設定の量は多いが、二次創作でありながら、一次創作を作っているような感覚は共通しているのではないか。設定を一から組み立てる必要がなく、コミュニティにも参加できながら、それでいてアレンジの個性を出しやすいのであれば、これは二次創作を作る強力な動機になりそうだ。

装飾過剰性

前回、過剰*4な装飾性を指摘したが、これは今回の作りやすさ/読みやすさにもあてはまる。どういうことか。

ふつうに考えて、キャラクターが多くなるほど、個々の見分けがつきにくくなる。さらにそれが二次創作ともなれば、原作と作風が違うし、初見のサークルであれば一冊の同人誌という少ない材料から判断しなければならないため、より見分けるのが難しくなる。同じ学園の制服を着ていたりすればなおさらだ*5

しかし、東方においては、キャラクターが多いにも関わらず、各自が個性的な衣装を着ているために、初見の同人誌であっても、描き手が技術的に未熟であっても、容易にキャラの見分けがつく。そして、見分けがつくことによって、それが東方の同人であることも分かるので、事前にチェックしたサークルでなくても、同人誌が目につきやすい。ニコ動でMADが目に付きやすいのも同様だ*6

つまり、装飾性は検索性として機能する。これは、商業作品のように、決められた放送枠があったり、雑誌記事があったり、広告宣伝があったりしない場合に重要になる。しかも、同人誌即売会は雑多な環境なので、繊細な違いでは見落としやすい。そこで、冗長性を持った装飾があるとノイズに強い*7

また装飾が多いとアレンジがしやすい。というよりも、装飾が多ければ、忠実に模写するだけでも、自然とバリエーションが出てくる。二次創作の作者がアレンジをする意図が全くなくても、複数の二次創作を見ている読者*8からは、結果的にアレンジと同様の効果を観測できる。作り手は個性が出せ、読み手は表現の幅を享受できるので、好まれるのだろう。

逆の例としては、例えば『ほしのこえ』の二次創作は作りにくい、というよりもよほど上手くないと、作っても雰囲気を出すのが難しそうだ。原作は、高精細な背景の描写によって叙情感を醸し出している作品だ。しかし、背景ではアレンジをしにくいし、違いが分かりにくい、もしくは違うことによってキャラクターほど面白さを出しにくい。

そもそも、大部分の二次創作者は背景よりもキャラを描きたいだろう。だから、背景がなくキャラクターだけ描いても原作の雰囲気が出るような作品の方が、二次創作の原作に向く傾向があるのではないか。

もちろん、二次創作者は自らが描きたいものを選び、描きやすさ「だけ」で選ぶことはしないだろう。が、挫折しにくいという消極的な理由から、たとえ本人が意識しなくても、結果的に選ばれる要因としてありうる。要するに、挫折した理由に比べて、挫折「しなかった」理由は自覚・発覚しにくい。だから、自然と選ばれる原因になっているというわけだ。

結論

東方の二次創作がなぜここまで同人界で一大ジャンルを築いたのか。ここでは、動画サイトなどでの一次・二次創作流通量が多くて、設定と装飾の過剰さによってアレンジがしやすい、という答えを出した。

これは二次創作の裾野の広がりを考えたときに、重要になる。再び「ゆっくり」のキャラを例にとれば、ああいうユルいキャラが広まるような土壌が、ライトな創作を促していると捉えている。濃いものは一次創作としては流行するかもしれないが、二次創作としては流行しにくい。

もちろん、それだけが理由だというわけではない。それ以外にも、前回挙げた緩やかな百合的な雰囲気というのもあるだろう。また、原作の音楽性がアレンジ曲を生み出し、それが音楽同人の台頭と時期を同じくしていた、というか牽引していたのも大きな理由だろう。複合的に他の理由が考えられるだろうが、それについては、また別の機会に考察してみたい。

*1:次の装飾も設定だと含めることもできる

*2:コミックはあるが、原作のSTGとは性格が異なる

*3:もちろん、ひぐらしはミステリ志向だからジャンルは異なるだろうが、作品の影響は受けているし、物語の舞台が伝奇的であるとか共通点も見られる

*4:弾幕STGとしては必須ではないということ。例えば戦闘機に乗っていても、ゲームとしては機能する。ただ、それを言い出すと、そもそも装飾そのものが過剰、余剰なものではあるが

*5:制服は、作品全体が何の原作に対しての二次創作なのかを分かりやすくするが、個々のキャラの差異は少なくなる

*6:ここで、装飾性は、視覚的なものだけでなく聴覚的なものにも拡張できる。イオシス動画などでの萌えソングは、歌詞が装飾的に過剰である

*7:これはいったん流行してしまった現在から見れば、大したことのないことに思えるかもしれないが、知名度が低い段階では感染力になる

*8:ここで、二次創作の作者も、他の二次創作や一次創作の読者である