本当は怖い『ドラゴンクエスト』〜「ロトの勇者」創作説〜
概要
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2009/07/11
- メディア: Video Game
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誰もがその名を知っている国民的RPG『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)。ここでは、1〜3作目の有名な「ロトの勇者」伝説について、実は後世の創作だという仮説を立てます。もちろん、公式な正史ではなく、非公式の偽史に過ぎませんが、「謎本」系の読み物としてご覧下さい。
考察
創作説の前提
最初に、創作説を立てるための足場を確保しておく必要がある。それは、ゲームプレイの内容が、必ずしも事実とは限らない、という前提だ。これが認められなければ、後続の議論は成り立たない。
『ドラクエ』の前に、『ロマンシング・サガ2』を見てみよう。このゲームは冒頭で、吟遊詩人が酒場で語り始めるところからスタートする。ということは、ゲームプレイの内容は、詩人が語ったもので、直接の事実ではない、という解釈もできるはずだ。これはいいだろう。
ゲームプレイの内容は、事実と異なりうる。帝国・皇帝側の視点で詩人は語るが、もしかすると、都合の悪い部分を改ざん、あるいは意図的に語り落としてるかもしれない。たとえば、七英雄は半人半獣の姿で描かれているが、事実は普通の人間かもしれない。敵役を強そうで悪そうに描くわけだ。
これを『ドラクエ』にも適用してみよう。ここでは、『ドラクエ』のゲームプレイは、たとえば酒場で吟遊詩人が語るような、伝聞・伝承だとする。それは『ドラクエ』世界の現在から、過去を振り返って語っているので、必ずしも事実とは限らず、解釈の余地があるということだ。
『ドラゴンクエストI』創作説
この記事で重要なのは、説の内容自体よりも、そもそも創作説がありうるという着眼点だ。そこで、創作説自体は、箇条書きで簡単に示す。仮説は他にも色々立てられるだろうし、前提を認めない人にとっては、何を書いても虚偽でしかないからだ。
『ドラゴンクエストII』創作説
『ドラゴンクエストIII』創作説
結論
創作説には違和感を覚えて、やはりゲームプレイのあの物語こそが、真実のように思えるかもしれない。だとしたら、RPGの物語は素朴に信じられる、という側面がやはりあるのではないか。これは、RPGがイデオロギーのライトな代替になる、という以前書いた記事(関連記事参照)の補足になっている。
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