テーマ決定からストーリー作成へ至る道のり

概要

5分で物語を作れるにようになるコツ

物語の最小構成は「成功するか分からない目標に向かう主人公」だ。

1「主人公には何か目的がある」

2「障害(強敵やら身分の差やらハンディキャップやら、とにかく主人公の目的をジャマするもの全部)を乗り越えようとする」

3「結果が出る(成功する場合もあるし、失敗で終わる場合もある)」


主人公の目的達成を中心に据える物語構成は、元エントリにもあるように多くの物語作法本に書かれている、超古典的な話題なので、それ自体については全く否定しません。上の三段階を「序破急」と言い換えれば、大昔からある構成法です。

しかし、目的と障害の間で主人公が葛藤するというのは、ストーリー自体ではなく、ストーリーのテーマであって、それだけで物語が出来上がるわけではないでしょう。

物語が三段階で構成されるというのは、ラーメンは麺・具・スープの三種で構成される、というのと似ていて、確かにその通りですが、麺は細麺か太麺か、具はワカメかメンマか、スープは醤油味か塩味か、などさらに細部があります。

これは異論というよりは補足になりますが、やはり物語全体を語るには、テーマ設定だけでは物足りません。特に現代の物語環境を念頭において、テーマ決定からストーリー作成へ至る道のりを簡単に述べたいと思います。

考察

目的の階層化

なぜRPGは世界を救う話になるのか - 萌え理論Blog

  • ラスボス
    • 中小ボスA
      • エピソードa
      • エピソードb
      • エピソードc
    • 中小ボスB
      • エピソードd
      • エピソードe
      • エピソードf

ドラゴンクエスト』であれば竜王、『ドラクエ2』であればハーゴン、『ドラクエ3』であればバラモスを倒すことが、主人公である勇者の目的(2、3については当初の目的だが)になっている。

しかし、その途中には多くのエピソードがある。たとえば、竜王を倒すためには、竜王の居城へ赴く必要がある。そこへ行くためには、「虹のしずく」で橋を架ける必要がある。その虹のしずくを手に入れるためには――と、大目的から小目的へ、再帰的に展開する。

これを以前のエントリでは、「RPG弁証法的構造」として記述した。RPGに限らず、一定以上の長さの物語では、ふつう目的は階層化されている。入手したアイテムの効果が分からないなど、結果の先送りもよく行なわれる。短編でない限り通常、「目的→葛藤→結末」のサイクルは、一単位のみで完結しない。*1

目的の隠蔽/不透明化

比較的素朴な初代『ドラクエ』でも、「虹のしずく」の存在が最初から分かっていたわけではない。そしてシナリオが高度に複雑化した『ドラクエ4』では、冒頭の時点では最終目的(つまり倒すべきラスボス)が未だ明確になっていない。ここが前三作との違いだ。ちなみに、『ドラクエ5』も同様に冒頭で判明していない。

現代的な物語では、物語全体の目的が隠蔽される、不透明化している、偽の目的が与えられる、といったことがよくある。目的を達成できるかどうか、結果が分からないだけではなく、そもそも目的がよく分からない。その代表作はやはり、一世を風靡した『新世紀エヴァンゲリオン』だろう。

その後の時代に出てきた『涼宮ハルヒの憂鬱』『ひぐらしのなく頃に』といった作品を見ても、「途中から意外な目的が判明する」という構造になっている。特に『ひぐらし』では、主人公は誤解しており、隠された真の目的に気付かない。そのように、読者や主人公から、目的を隠蔽する場合もある。

無目的な物語

らきすた』のような四コマ系の作品は、達成すべき目的が特にない場合が多い。少女マンガにおいても、目的の達成よりも、感情の充足が優先される場合がある(感情の充足が真の目的である)。

ノベルゲームでは、シナリオの多くの割合を会話が占める。たとえば、登校時の会話は何かの目的の手段になっているわけではなく*2、単に繰り返される日常の行為なのだ。あえていえば、会話自体が目的なのだ。四コマにおいてもノベルゲームにおいても、無目的な日常を描くことが物語になりうる。

必ずしも目的がないから、物語として破綻するとは限らない。現代の二次創作環境を見るに、「ヤマなしオチなしイミなし」の作品は増え続けているだろう。注意しておけばこれは、元エントリの目的を設定するという構成法が、間違っているわけではない。そうではなくて、無目的な物語もありうる、ということだ。

結果が判明している物語

元エントリには「成功するか分からない」とある。だが、主人公の勝利・成功が見える場合がよくある。それどころか、NHK大河ドラマのように、成功/失敗の結果が事前に判明している場合もある。ドラマの主人公が織田信長であれば、本能寺の変によって天下統一の夢は果たせずに終わる、といった結果を視聴者は見る前から既に知っている。

それでも、物語の面白さがなくなるわけではない。ではどこにあるのか。それは、ここまで述べたような、部分的な目的かもしれない。有名な物語でも、部分的になら、既存の作品にない新エピソードを盛り込めるからだ。あるいは、時代劇ならその時代の日常を味わいたいだとか、目的達成と関係ない部分に魅力を感じるかもしれない。

注意しておけば、これは特殊な例外を挙げているわけではない。知っての通り、メディアミックス全盛の時代であり、たとえば、TVアニメはオリジナルよりも原作が存在することが多い。すると、ストーリーのテーマは、多くの場合、原作から継承することになり、勝手に決められない。同人での二次創作も同様で、テーマを一から自由に決めることはない*3

結論

結論としては、現代の創作環境においては、主人公の目的達成と葛藤というテーマだけでは、物語全体を構成するには不足であり、目的を階層化するなどの、応用・発展的手法が必要になる、ということだ。

「勇者が魔王を倒す」というようなよくあるテーマなら、5分どころか5秒で決まるだろう。しかし、小目的に分割していけば数が増え、さらにエピソード同士の整合性も考えなければならないので、項目的な個別の設定作成と異なり、組み合わせ爆発によって、膨大な時間が掛かってくる。

テーマ決定は最初の一歩であり、テーマからストーリーへ至る道は千里である。しかしそれは決して、テーマ決定がどうでもいい、という意味ではない。「千里の道も一歩から」ということなのである。

*1:今回は考慮しないが、下位の目的を「目標」と言い換えるなど、用語法については改善の余地があるだろう

*2:恋愛達成はプレイヤーの目的だが、少なくとも主人公の意識においては多くの場合

*3:全く違う物語にすると、パロディになる。原作あってのパロディなので、「一から自由に」決めているわけではない