萌えはリアルよりバーチャルを指向する

ハルヒ」は「リアル」なのか?

物語の「リアル」とは何か - 萌え理論Blog

前回の記事では、物語における「リアル」について考察したが、今回はリアルさと別の、創作作品に対する価値基準を提出したい。リアルさだけでは測れないものがある。それは何か?

最近流行した『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』には、「リアル」という形容や評価が、あてはまらないように思う。アニメの背景をロケしたり、オープニングの踊りに凝ったりするところは、普通に「リアリティがある」といってもよさそうだが、やはり作品全体から見ると、古典的なリアルさとは違う。しかし、従来のリアルさは別のところに、「何か」がある。

リアル指向とバーチャル指向

私としては、リアルかどうかという線上にハルヒを位置づけるよりも、「ハルヒはバーチャルさがある」といったほうが、しっくりくる。ハルヒ(に限らず『ひぐらし』とか『東方』とか、最近の萌え作品全般)は、人間は描けていないかもしれないが、キャラクターはすぐれて描けている。

ハルヒらきすたは、『アイドルマスター』や『初音ミク』と同じ平面で捉えたい。ハルヒらきすたが細部に凝っているとしても、どちらかというと、現実に近づけているというよりも、アイマスやミクのように、現実とは別のバーチャルな世界を構築していると解釈したい。

聖地巡礼」でモデルになった現地に行くというのも、現実を虚構から見直して、バーチャルな世界として体験する、という位置付けで捉えられる。コスプレでは、実在の人間がキャラクターを演じるように、現実の風景が虚構の世界観を形作っているのだ。

二次創作の位相空間

それでは、リアル指向かバーチャル指向か、という区分はどこでつけるのか。それは、二次創作の流通が容易かどうか、という基準が目安になると考える。バーチャルなキャラクターは、模倣しやすく、そのため流通しやすい。

これは、2ちゃんねるなどの掲示板で、ソースがない議論は際限なくループするのに似ているだろうか。実在性を持たないキャラクターは、いくらでも二次創作を作れる。じっさい、同人イベントやサイトには、星の数ほど作品が溢れている。

しかしでは、「なんでもあり」かといえば、そうではない。二次創作がランダムに作られて、全て等価に並んでいるわけでは決してない。それどころか、むしろ極端に偏っており、市場やランキングの上位と下位とでは、天地ほどの開きがある。

どうしてそのように偏るかといえば、キャラクターは、現実との距離では測られなくても、モデルと同じ位相であることは、読者から求められるからだ。どういうことか?

空気の流れを読む

つまり、設定や物語やその他をどんなに無茶苦茶にデフォルメしても許容されるが、その世界観なりキャラなり*1の「らしさ」を外すと、読者から認められない。この基準が何なのかの説明は難しいが、おそらく「空気を読む」のに似た行為である。

二次創作は、「ヤマなしオチなしイミなし」で、なんでもありなように見えて、実際の作品群はどこか似通っている。もう少し正確に言うと、もちろん空気を読まない作品も多々あるだろうが、少なくともコミケで売れているのは、ジャンルの空気を外していない。

コミケだけでなく、ニコ動で、Pixivで、ランキングを見れば、なんでもありなようで、どこか似たものが並んでいるだろう。だから、日々流動する「カオス」にも秩序があり、空気の流れを読むというのは、カオスの中に潜む法則を見出す、ということに他ならないのである。

*1:さらには「アニメ」といったジャンル全体