『ドラえもん』の主人公はだれか

ドラえもん』の主人公はドラえもんではない

表題がドラえもんで、作者もドラえもん
主人公だと考えていたようだが、ここでは
ドラえもん』の主人公はのび太だと考える。


考察に入る前に次のような意見を取り上げておこう。
「絶対的な主人公はなく、人それぞれである。」
ありがちだがしかし、本当にそう思うだろうか?
出来杉や学校の先生や更には通行人が主人公で
納得するだろうか。主人公の定義しだいで違うとしても、
もう少し納得できるような定義が欲しい。

主人公の定義は何か

そもそも何をもって主人公と定義するのだろうか。
表題か、一番多く登場する人物か、一番派手に活躍する人物か。
辞典を引いてみると「物語の中心人物」などと記述してある。
なるほどたしかに、それっぽい答えではあるだろう。


しかし、「中心」とは何か。ドラえもんのび太も、
物語の中心にいるだろうが、二人とも主人公なのか。
ドラえもん、更には「秘密道具」が物語の中心だと考えると、
主人公は秘密道具なのか(人物じゃないか)。再び、中心とは何か。


道具が主人公にならないのは明らかだが、そこから考えれば、
ドラえもんは道具に近い。これはロボットだからではない。
かりに直接セワシが秘密道具を持って来ても、エージェント
的な立場であって、主人公でないことには変わりないだろう。


単なる能力ではなく、能動性にポイントがありそうだ。
ただ能力だけなら、例えばラスボスが主人公になりそうだ。
だが、このブログでは「葛藤するのが主人公」だとか、
「欲望するのが主人公」だとか、「境界を越境する」とか、
文学的な言葉に頼らない方向で行くことにする。

主人公の可能世界説

ここでの主人公の定義は、
「物語内可能世界の中心人物」とする。
さっそく、「物語内可能世界」とは何か。
「物語の可能な展開の集合」のことだ。

物語 道具使う 道具使わない
人物A 出来事 出来事
人物B 出来事 出来事


道具を何に誰に使うか、使わないか、
という選択の主体が主人公なのである。
そして、その判断がドラえもんには必要ない。
押入で寝ているか、どら焼きを食っているだけだからだ。
ドラえもんの登場人物は、のび太を中心に記述できる。
のび太の家族…パパ・ママ
のび太の先生…先生
のび太の友人…ジャイアンスネ夫・しずか・出来杉


要するに、ゲームの中心人物が主人公なのである。

補足

物語で中心的な行為の選択主体が主人公だとして、
その主人公は可変でありうる。物語から事後的に
抽出したもので、先行してあるものではない。
どういうことかというと、例えば
ドラゴンクエストモンスター物語』のように、
脇役を主人公(選択主体)にした外伝的物語もある。


それから、『笑うせぇるすまん』の喪黒福造などは、
選択の余地は実質的にはないので、形式的主人公とする。
これは「It rains」のような形式主語と同じことである。
逆に言えば、物語が描く行為群の主語が主人公になる。
では述語は何か…? という疑問は持ち越しにしよう。