映画『CUBE(キューブ)』 ――ソリッド・シチュエーション・スリラーの代表作

概要

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情報
紹介

ゲーム感覚あふれる斬新なアイデアと、スタイリッシュな映像センスで、トロント映画祭やサンダンス映画祭をわかせた作品である。6つのハッチから出口を探すしか脱出方法はないが、部屋にはさまざまな殺人トラップが仕掛けられている。無駄なエピソードはいっさい排し、ただひたすら脱出サスペンスと心理ドラマに集中している。監督はデビッド・クローネンバーグ以来の衝撃と賞賛される、カナダの異才ヴィンチェンゾ・ナタリ。映画作りの常識を根底から覆した、画期的な映画である。(アルジオン北村)

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

ある日突然理由もなく、男女6人が鋼鉄の立方体の部屋に閉じ込められる。
そこは他にもたくさんの同じ部屋があり、その集合体で作られた、巨大な立方体(CUBE)になっている。
各部屋に6つあるハッチの中からひとつを選び隣室へ移動しながら出口を探す以外、脱出方法はない。
しかも部屋には様々な殺人トラップが仕掛けられている!
そんな極限状態の下、絶望的なサバイバルを繰り広げる6人。
やがて一つ一つ謎と罠をクリアしてゆくうちに、彼らの精神状態が徐々に狂い始めてゆく・・・
果たして無事にこのCUBEから脱出できるのか?あるいは本当に出口はあるのか?
今ギリギリの緊張の中、死のゲームがセットされた・・・

解説

ソリッド・シチュエーション・スリラーの代表作

 「ソリッド・シチュエーション・スリラー」と呼ばれるジャンルを代表する作品。本作の発想の原点は、同じナタリ監督の短編映画「Elevated」から。低予算の制作だが、アイディア勝負で大成功した。本作がスリラー映画に与えた影響は、タイトルを真似た便乗作があることからも見て取れるだろう。

 ストーリーは単純明快。殺人トラップが仕掛けられている立方体の部屋「キューブ」から、囚人が脱出しようとするだけの話だ。しかし、その部屋が何のために用意されたのか、という理由が全く説明されない。そのことが、カフカの小説のように、不条理な雰囲気を醸し出す。

 クローズド・サークルや限定状況が舞台のサスペンスは昔からある。たとえば、『バトル・ランナー』のように、デス・ゲームものも昔からある。それを踏まえた上でも、立方体という極限まで抽象化された空間で機械が殺人を行う、という無機質な印象が際立っているため、本作にオリジナリティを感じる。

 完全にアイディア勝利の作品。なんといっても、アイディアが素晴らしい。どうしても登場人物は薄っぺらくなるが、このゲームのような世界では、むしろヒューマンドラマは余計だろう。美術面で、部屋のデザインもセンスが良い。配色を部屋ごとに統一したことで、同じ形の部屋でも印象が異なっていた。

環境自体が人工的に構築された設定

 本作のとくに前半はドライでクールだ。この徹底した無機質性に注目しよう。これがたとえば、『SAW(ソウ)』になると、もう少し人間味が出てくる。邦画『バトル・ロワイアル』などは、本作と比較すると、かなり情緒的に見える。

 このことに世相を読み込むとどうなるか。たとえば、戦争で空爆によって一方的に攻撃するような状況では、人と人の戦いという感覚は薄れてくる。あるいは、コンピュータが人間のチャンピオンにチェスで勝ったことだとか。

 本作の前半には、非人間的な雰囲気がただよう。それは殺人者が冷酷といったことですらなく、機械が人を殺すために、たんに無感情なのだ。この非人間性は、『新世紀エヴァンゲリオン』の暴走するエヴァにも見られる。つまり、90年代の時代感覚だ。

 本作の設定は、スリラーの演出面でも優れている。たとえば、キューブのトラップ用機械は言葉を発しない。しゃべらないのが当たり前に思えるかもしれないが、SF的な機械は何かとおしゃべりなのだ。

 閉鎖空間でしゃべる機械の例としては、最近の邦画『インシテミル』がある。設定上しようがない面もあるのだが、あらかじめ機械が人間に警告するため、恐怖が薄れている。黙って殺す、本作の機械のほうが、はるかに恐ろしい。

 機械が人間のように話す、という発想は旧来的な産物だ。それよりも、本作や『マトリックス』のように、環境自体が人工的に構築された設定のほうが、現代的に感じる。なぜ現代的かといえば、ネットやケータイが人工的な環境だからだ。

 本作におけるトラップは、殺人方法のバリエーションが豊富で、とくに音を感知する部屋は緊張感が出ていた。だがじつは、人間による殺人のほうが多い。もっと機械の殺人が多くてもよかったと思う。

カフカ的な倒錯した官僚制の世界観

 物語の導入は、囚人が金網のトラップによって立方体の形に切断される、ショッキングな殺人シーンから始まる。これはグロテスクな表現だが、早い段階で危険を見せ、緊張感を作ることに成功した。中盤に入ると、やや中だるみ気味になるとはいえ、誰が生き残るかに興味が惹かれ続ける。

 結末に関しても、現実の力学とは違い、映画的な解はこういうものだろう。映画的な危機は、主体の欲望が映し出す影として生じる。脱出者は、もっとも欲望が希薄なため、危機に妨げられなかったのだ。

 このキューブ自体の存在理由は、本作の時点では、推測でしか示されない。キューブは公共事業で作られ、作ったからには使わなければ、ということだろうと、登場人物のひとりが推測する。これは、カフカ的な倒錯した官僚制の世界観で、現代的なビジョン*1だ。

 ストーリーは全体的に妥当だと思う。たとえば、立方体の存在理由をくだくだ説明しても、かえって蛇足になるのではないか。物語や意味といった人間的なものを排して、機械的・記号的に処理する、本編の脚本・演出で正解だ。

 ただむしろ、純粋なゲームとして見たときに、ゲームシステム設計の詰めを残している気がする。たとえば、脱出法は数学的な解法になっているが、そこに問題がいくつか残るようだ。

 ゲーム的な設定なので、人物やトラップなどの条件を変えて、違った展開や結末を想定したくなる作品。そしてじっさい、そのような続編が、制作・公開された。ソリッド・シチュエーションというジャンルは、まだまだ開拓の予知がありそうだ。

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*1:大昔にも巨大な墓を作っていたから、制度の無目的性は、時代に関係なく普遍的なことかもしれない。が、その倒錯性や自己完結性に、自覚的なところが現代的なのだ