平均生産性vs限界生産性議論のまとめと大雑把な解説

平均生産性vs限界生産性

賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070211/p1

普通の経済学では、賃金は労働の限界生産性と均等化すると教えている。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/cd4e52fd7cca96ac71d0841c5da0cb75

なぜ議論が混迷するか、ものすごく大雑把な説明

(以下、ニュアンスだから経済学的なことはどうでもいい)上のAのように、市場における全ての産業が完全に一つに関連していれば、平均生産性なるものを考える意味があるのかもしれない。しかし実際には下のB・Cのように、ふつうはある程度独立しているものだろう。Cの生産性が上がってもBの生産性が上がる、「他人の生産性が向上すれば自分の給料も増える」とは限らない場合が多々ある。例えば、交通量が増えて燃料が必要になっても、みな石油を使って石炭の生産性は増えないかもしれない。また、音楽の需要が増えてもMP3プレイヤーを買って、CDや更にはレコードが売れるとは限らない。そのような場合に全体の平均を考えても仕様がない。個々の限界生産性で考えればよい。従って、どちらかといえばアルファブロガー連合(山形氏・小飼氏・fromdusktildawn氏)よりも、池田氏の方が妥当であると私は考える。

オマケ・もう少し複雑な解説

もう少し複雑な話をすると、実はこれは、社会主義の計画経済がうまく回らないことを示している。全体の平均的な生産性が上げれば他の産業も成長すると考えて、ひたすら製造業に力を注げば経済が豊かになるかといえば、全然そうはならなかった。だから、全体の平均ではなくて、個々の限界に注目しなければならない。すなわち、計画経済の全体平均の最適化よりも、市場経済の部分的最適化の方が優れている。なぜそうなるかというと、整合的な市場の真の全体像など誰も見渡せないからである。人間には不完全情報しかない。そもそも限界生産性の「限界」とは微分の極限に関連している*1非線形不定形な市場に対しては、平均的な最大ではなく、特定範囲の曲線における極大値を目指すことに意味がある。それが「限界生産性」が持つ近代(経済学)的な意味だろう。

*1:初期は「最終」と呼んだ。また極限=リミットと限界=マージナルでは本当は意味が異なる。前者が決定的な点なのに対して後者は分岐的な点として解釈している。これは微妙な話なのでここでは省略する