タイトルの法則

二大法則

題名は作品の内容を代表・象徴します。例えば、作品が原稿用紙百枚だとして、その百枚分の内容をそのまま題名にすれば、題名は内容を100%表し、全く情報は失われません。しかしそれは明らかにナンセンスです。広告など題名を載せる紙面は限られていますから、題名は内容より短くするという自然な大原則があります。(内容自体が短い詩などでは逆転しえます)


従ってほとんどの場合作品より情報量は減るわけですが、その削減の仕方によって、作品全体の要約・比喩を用いる縮小型と、作品全体の中から特徴的な部分を選ぶ断片型に、題名のつけ方を大きく二分することができます。*1後者のうち、主人公など登場人物の名前や舞台となる場所名を書くのは、典型的な題名のつけ方です。

縮小・要約・比喩型

作品の中にモチーフとして直接登場しないタイプの題名です。シリーズごとに登場人物や舞台が変わってしまうゲームに多いつけ方です。『ファイナルファンタジー』は「ファイナルファンタジー」という人物や場所や道具が登場するわけではありませんよね。対して『ドラゴンボール』はドラゴンボールが出てきます。『ドラゴンクエスト』では、一作目では竜王が出てきますが、二作目以降は縮小型の要素が強い気がします。『果てしなく青いこの空の下で』も空は出てくるでしょうが、比喩の面が強い感じです。『つよきす』も縮小型。


はてな」「mixi」「2ちゃんねる」「VIP」「萌え理論」なども縮小型です。例えば「2ちゃんねる」はゲームやビデオを使うときに合わせるTVの2chから来ているらしいのですが、それが全体の要約になっています。つまり、TVが受信する本来の番組以外を2chで見るように、2ちゃんは従来と違うサブカルチャーのメディアだというような意味でしょうか。(他にも商標を取られにくいから、とか重層的に意図・意味があっても構いません)

断片・人物・場所型

作品の中にモチーフとして直接登場するタイプの題名です。特に人物が多く見られ、次に場所や道具や技などが来ます。人物が多いのは読者は人間だから興味もそこにあるのでしょう。主人公=題名は一番分かりやすいパターンです。『ゲゲゲの鬼太郎』『ブラックジャック』『ゴルゴ13』『ルパン三世』とかですね。内容も主人公が活躍します。『らんま1/2』のように名前に何か足して少しひねると記憶に残りやすいでしょう。『ロミオとジュリエット』のように対もあります。戦隊ものなど複数の主人公はグループ名に。


主人公が脇役より無個性・平凡な場合は、活躍する非主人公を題名に持ってきます。この『ドラえもん』型では、『もののけ姫』(主人公アシタカ)『涼宮ハルヒの憂鬱』(主人公キョン)などがあります。場所では『こち亀(長いので略)』などがあります。道具ではロボットものはロボットの名前です。『鉄人28号』『マジンガーZ』『ガンダム』『エヴァ』などですね。

複合型

この2タイプしかないのでは不自由するかというと、工夫の余地があります。『MUSASHI GUN道』もそうですが、二つ以上の要素を組合わせる余地があるからです。縮小型と断片型を組合わせても構いません。シリーズものは題名を変えられないので『ドラゴンクエスト2〜悪霊の神々〜』のように副題で変化をつけていく方法があります。ところでこの「悪霊の神々」が何を指すのかは謎です。なぜ複数形なのか。*2


このタイプで有名なものは宮崎駿のアニメのタイトルでしょう。「の」がつくというジンクスがあります。『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』。『もののけ姫』の他は、「の」が対象を限定する機能を果たしています。『となりのトトロ』が優れているのは、「昔の古き良き日本にはトトロがそこら辺に(すぐとなりにも)いた」という幻想を体現しているところです。もしこれが『不思議のトトロ』だったら、ファンタジー異世界でのみ会えるのか分からないでしょう。


他に「の」の技法を使ったものでは、『涼宮ハルヒの憂鬱』は「憂鬱の中でもハルヒの憂鬱は特別だ」、『ゼロの使い魔』は「使い魔の中でもゼロ(のルイズ)の使い魔は特別だ」、という風に特徴を際立たせます。『吉永さん家のガーゴイル』も実は前述のトトロと同じパターン。これが「と」の場合は並列なので弱まります。『天空の城』が『天空と城』だったら弱いですね。『涼宮ハルヒと憂鬱』だったら憂鬱なのはキョンかもしれず、すると平凡ですね。そこで意外なものを持ってくる必要があります。例えば『セックスと嘘とビデオテープ』とか『愛と勇気とかしわもち』とかですね。

暗号型

現代は様々なコンテンツが飽和状態なので、相当凝ったタイトルのつけ方に進化しています。『ひぐらしのなく頃に』というのは最初にパッと見て内容が予測できず、ただ「夏」という情報しかないようですが、それは拡張子の偽装のようなもので、情報が圧縮されて隠されています。今見ると『雛見沢連続殺人事件』とかではぎこちない。*3


以前にも言いましたが、「頃」を分解すると「ヒナ見」になり、実は物語の時間と空間の両方の場所を提示していた、というのは一つあります。しかし、「ひぐらし」の象徴性もなかなかです。「ひぐらしがいるような昭和の田舎」という読みではまだ浅い。「ひぐらしは短命で儚い」とも読めますが、更にもう少し深い意味があります。蝉は長い間地中にいて地上で束の間の生を送りますが、そういう生命のサイクル*4と、ヒロインが圭一に会い事件が起きるまでの楽しい日々が重ね合わせられています。このタイトルはしっくり来ます。

*1:元はすが秀美の論点。更に大元はヤコブソンの「類似」と「近接」の概念

*2:例えば、シドーは悪霊の神々の一体であり、主人公たち(ロトの子孫)の冒険の歴史はまだ続くという、壮大なスケールの仕掛けかもしれません

*3:ちなみに本編中に同名の書籍が出てきますが、それについてはそれほど上手いやり方ではないと感じました。あと「な」が赤いのも意味があるでしょう

*4:蝉の素数周期説というのがありますね