「ボブの絵画教室」からエンターテイメントを学ぶ

萌え理論Blog - 「ボブの絵画教室」からエンジニアリングを学ぶ

前回は、風景画という固定仕様に対して実装が最適化されているという合理性を見た。例えばあのハケみたいな幅の広い筆にそれが現れている。しかし、それだけではない。単に職人的な技術を持っているからすごい(いや、それは既に凄いことなんだけれど)という話ではないのだ。それは技術の応用である。どういうことか。

仕上がりが早いというのが、単なる画家の世界の内部の競争ではなくて、その外側にまでつながっているということが重要なのだ。早く描ける技術によって、最初から最後までライブできるから、あの番組が出来たわけである。価値創造だ。もちろん、長時間の制作でも編集すれば尺の範囲内で映せるだろうが、それでは視聴者の驚きがまるでなくなってしまう。

これが例えば次世代ゲーム機なら、性能が向上しただけではなくて、性能が向上したことによって、新しく何ができるのか、ということが重要になる。例えば容量が増えて音声が入れられるようになってギャルゲが遊べるとか、ポリゴンが描けるようになって3D格闘ゲームが遊べるとか。それがなくて単なる数値上の性能競争・スペック自慢になってしまうと、「イノベーションのジレンマ」とでもいうか、ユーザの需要から離れてしまう。

だから、前回の全体と部分の話で言えば、部分的な技術が単なる技術の集積に留まらず、全体から見たときに、表現を根本から変えてしまう、といった余剰を産み出すようなことこそ、技術革新による価値創造なのだろう。例えばチューブ入り絵の具が、屋外の明るい風景を描く印象派に関連するだとか。そこには可能性があるが、同時に、とても難しいことである。