男は女一般を愛し、女は女自身を愛するという決定的な違い

男は女を見るが、女は女を見る

萌え理論Blog - 女性の非モテが不可視なのはモタざるものではないから

恋愛市場において、男性は買い手であり女性は売り手である。


この基本テーゼを踏まえれば、「据え膳喰わねば男の恥」という下位テーゼもすんなり理解できよう。本来、男性は女性を所有するために、有形無形の財を与える必要があるのだが、今ならキャンペーン中につき、なんと無料で体験版がプレイできます、というわけなのだ。もちろん、それが後で高くつく場合もあるだろう。対して、女は相手を選ぶ。「誰とでも寝る女」とは、自らの安売りにほかならない。


一般に、男より女の方が恋愛における嗜好の幅が広い。もちろん、イケメンに越したことはないが、容姿は男が女に対して求めるほど強くない。このことは、男の(お笑い)芸人は女に人気があるが、女の芸人は男に(恋愛対象としての)人気がないことからも伺える。ただし、一定の年齢以上の女にとっては、収入が大きな判断を占める。しかしこれは、恋愛というより結婚のカテゴリの問題に含まれると、ここでは考えておく。


また、男から見ると、女は若い方が良い。「女子高生」「女子大生」、更に言うと「処女」は一つのブランドの価値がある。これはただ主観的に述べているのではない。風俗産業ではそれが確実に貨幣価値に結びついているからだ。その逆はどうか。「男子高生」や「童貞」を好む女もいるだろうが、それは男ほど広範に成り立たないだろう。しかし、なぜそのような非対称性が男女で生じるのか。


それは、男は女(一般)を見ているが、女は女(としての自分)を見ているからである。女にとって男のこと(属性)は、本質的にどうでもいいことなのである。それよりも、女としての自分の価値を見出してくれるという部分に重心が掛かっている。コミュニケーション力とでもいうか、大事にしてくれること自体が大事なのだ。


もっと普遍的に言うと、男のベクトルは外を向いているが、女のベクトルは内を向いている。男は自動車や鉄道や工作など機能的なものを好むが、それは自らにない(力がある)からである。対して女は服や宝石や化粧など装飾的なものを好む。それは今ある自分の価値を変える(力がある)からなのだ。ちなみに、ジェンダー関連の補足は注に譲る。*1

優しいが自分が大事なオタク、暴力的だが相手が大事なDQN

最後に応用として、みんなが知りたい非モテの問題を見ておこう。この単純な図式が、極めて切実な具体性をもって現れている領域だ。今回は男の非モテ非モテである原因について述べる。非モテは容姿などの属性が優れていないと思うが、それ自体が致命的な原因ではないと考える。


むしろ、そのことがコンプレックスを形成して、コミュニケーションに支障を来たすのが、より根本的な原因になっていることが多い*2。自らの属性の劣位によって、そのことで傷つきやすくなり、さらにそれを防衛するために過剰に自分語りしてしまう、ようするに女々しくなってしまうのがいけない。なぜなら、女は自分と一緒に自分を見てくれる人を探しているのに、女は女で自分を見て、男は男で自分を見ては、売買が成立しないのは当然だ。この現象の徴候としては、女に対して笑われたときの反応が挙げられる。例えば、オタクは自分の趣味を笑われることに耐えられない。自分(男同士)で自虐的に笑うときにのみ耐えられる。


その点、全く対照的なのがDQNだ。DQNは特に彼の属性が優れていなくても彼女を見つけてくる。DQNは自己中心的に見えながら、本質的には他者指向である。だから、自分が傷つくのも構わず殴りあう。自分がバカだということをネタにして男や女を笑わせられる*3。ナンパして見向きもされなくても打たれ強い。オタクのような自意識を大切にしつつ馴れ合いましょうという発想がない。もう少し言うと、オタク的なコミュニティが標榜する繊細な優しさが、各自が自分を大切にして傷つかないためのものであるのに対して、DQN的なコミュニティは、各自が自分を大切にしない暴力的な機制によって、相互に相手のためになることを標榜する組織である。

*1:まず、これは規範的ではなく記述的なもので、男女かくあるべし、という話ではない。時代と共に移り変わることもあるだろう。次に、この記述が、男女がそうあってほしいという、記述者の欲望が構築した虚構であるという批判がありうる。しかし、ここで述べていることは、素朴に日常的に観察できることであり、構築的なものであっても、たんに個人的なものではなく、もう少し社会性を持っていると考える

*2:もちろんそれが全てで、それをどうにかすれば全てが解決するというわけではないが

*3:オタクの場合、マニアック過ぎるということがネタになっている