可能世界としてのゲーム空間

ゲームの定義は何だろうか。例えばゲームは遊びとどう違うのか。
「意味づけ・価値づけ・目的づけされた可能世界」がゲーム空間であり、
その中で行為するのがゲームだと、ここでは定義したい。


意味や価値は人間特有なので、特に二人以上のゲームは動物にはできない。
犬や猫が、ただボールと戯れているのをゲームと呼ばない。
シュートするためには、まず誰にパスをし…など可能世界を見通せる必要がある。


プレイヤーの可能な行為の集合が、ゲーム空間(集合)だ。
なぜならプレイヤーの行動が関係しない事象は、
意味・価値・目的に関係がないからだ。
例えば突然地球が爆発するかどうか、をプレイヤーは左右できず、
ゲーム空間に含める意味がないだろう。(予測できれば意味がある)
(例えばゲーム理論なら、同時ゲームなら利得行列、
交互ゲームならゲームの木で表せるが、今は措く)


例えばゲーム機で遊ぶゲームなら、プレイヤーの可能な行動は、
コントローラーで入力できる範囲内なので集合の規模は分かる。
各ボタンを押す/押さないの組合せと時間で求められる。
天文学的な数字になるので、実際の分析では適宜選択肢を絞り込む)


ここで、ゲーム空間の一つの要素をプレイの代わりにストーリーとすれば、
同人空間はゲーム空間である。あるいは、一つの要素を記事にすれば、
ブログ空間はゲーム空間である。可能世界が開ければ何でもゲームになる。

同人空間(ゲーム空間) キャラクターa有 キャラクターa無
キャラクターb有 ストーリーA ストーリーB
キャラクターb無 ストーリーC ストーリーD


上図の各A・B・C・Dがストーリーであり、
それを包括した全体がゲーム(空間)である。
キャラクターは複数のストーリーにまたがる。


キャラクター空間aはストーリーA・Cを含み、
キャラクター空間bはストーリーB・Dを含む。
キャラクターを出すか出さないかは、「○○本」
というように、同人での戦略になりうる。


そして、萌えとはこのゲーム空間を開く感情にほかならない。
一つのストーリー・一人のキャラクターから、それを超える
集合を想像するのが萌えである。萌えは可能世界を要請する