セカイ系、シャカイ系、セケン系

概要

 ここでは、「セカイ系」の定義を拡張して、「シャカイ系」と「セケン系」を作り、その3つの系を比較したい。

個人・社会・世界

主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと
(『美少女ゲームの臨界点』、波状言論

 まず最初に、以下の展開は全て、上記の定義を前提にしている。もちろん、「あくまで『新世紀エヴァンゲリオン』後の現象なので、そのように抽象的な定義はできない」という立場もありうるだろう。

 上記の定義には、「小さな関係性」「具体的な中間項」「抽象的な大問題」という3つの要素がある。より具体化すれば、「個人」「社会」「世界」という3要素になるだろう。

 そのうち、「具体的な中間項」(社会)が抜け落ちる作品を、セカイ系としている。それを踏まえてここでは、この定義を変形し、他の2つが抜け落ちるものに適用してみたい。

  • セカイ系
    • 個人−(社会)−世界
  • シャカイ系
    • (個人)−社会−世界
  • セケン系
    • 個人−社会−(世界)

 個人・社会・世界のうち、社会が抜けるものをセカイ系としたときに、個人が抜けるものをシャカイ系、世界が抜けるものをセケン系、とここでは定義したい。

 ただし、この3系は、個人・社会・世界の描き方が偏ったものを分類する基準だ。だから、あらゆる作品が3つのいずれかに必ず分類される、というわけではない。

セカイ系

 前景に個人を、遠景に世界を配置するのがセカイ系だ。当てはまる作品を挙げれば、『最終兵器彼女』『ほしのこえ』など。

 前景の自意識やヒロインとの関係が、遠景にある世界の問題と直結している。たとえば、『ほしのこえ』では、主人公のヒロインが、惑星間の戦闘に関わっていた。

 セカイ系に社会の位相が抜けている要因として、中景となる社会の描写より、前景にリソースを割く、という制作上の都合は、ひとつ挙げられるだろう。

 特に、美少女ゲームであれば、グラフィック・サウンド・ボイス・スクリプトと、シナリオ以外の作業工程が増えるので、主人公とヒロインの関係に絞りたいという事情はあるはずだ。

 セケン系の個人と異なり、セカイ系の個人は、世界と解離した状態にある。そこで、セケン系の安穏とした日常とは異なり、個人は解離した世界を捉えきれず、実存的に苦悩する。

シャカイ系

 前景に社会を、後景に世界を配置するのがシャカイ系だ。当てはまる作品を挙げれば、『コードギアス』『デスノート』など。

 前景に社会的組織があり、その後景には世界のリアルさ、たとえば権力や暴力が描かれる。そこで、物語はゲーム化された権力闘争という形を取ることが多い。

 シャカイ系に個人の位相が抜けている要因として、物語構成上、社会的ゲームの設定を導入するので、人物がゲーム盤上の駒という扱いになることは、ひとつ挙げられるだろう。

 社会的ゲームが重要なので、そこでのコミュニケーションは、表面上のやり取りに過ぎない。たとえば、『デスノート』での月とLの交流がそうだ。

 セカイ系の世界が、観念的な世界だったのとは異なり、ここでの世界は構造的な世界になっている。すなわち、個人が意味付けするものではなく、社会的ゲームのルールとなる、機械的な規則に他ならない。

 たとえば、『デスノート』における「デスノート」のルールが、同作品における世界に相当する。

セケン系

 前景に個人を、後景に社会を配置するのがセケン系だ。当てはまる作品を挙げれば、『らきすた』『けいおん』など。

 これは、いわゆる「日常系」「空気系」と言い換えても、別に構わない。だが、このエントリの目的は、単なる言葉の言い換えではない。他の2つの系と比較して、差異を明らかにするのが目的だ。

 前景には個人があり、後景には(個人から見渡せる範囲で)共同体の連帯が描かれる。世界の問題や、謎や、リアルさは描かれない。

 セケン系に世界の位相が抜けている要因として、世界のリアルさが性や暴力につながるから、という物語制作上の必然性は、ひとつ挙げられるだろう。とくに、四コマ・マンガでは、不条理系をのぞけば、たいてい日常を描く。過剰な性や暴力要素は日常に向かない。

 シャカイ系のゲーム盤としての社会とは異なり、個人がつながる範囲での社会になっている。したがって、ここでは社会的ゲームは表面上のことで、むしろ個人間のコミュニケーションこそが実質となる。

 たとえば、『らきすた』で、学校の勉強というのは、学校での話題のひとつに過ぎない。その点数によって、主人公たちの友情に、決定的なヒビが入るようなことはない。ここがシャカイ系の社会と違う。

00年代のムーブメントの推移

 分かりやすさを優先するため、単純にまとめると、00年代の流行は、セカイ系 → シャカイ系 → セケン系と変遷している。

 これは、受容する読者側の興味が、セカイ→シャカイ→セケン、と推移しているのかもしれない。つまり、『エヴァ』の時代から、だんだん興味の対象が、日常に向かったのではないか、ということだ。