ノベルゲームにおける立ち絵の時間性
概要
- 立ち絵
- 直線的時間
- 一枚絵
- 円環的時間
立ち絵で進行するシーンは、現実に近い時間が流れている、とプレイヤーに感じさせる。ポーズや表情が瞬時に変わるなど、デフォルメされた時間ではあるが、立ち絵が動き続けることで、時間が流れる感覚を与えるのだ。
対して、一枚絵で進行するシーンに入ると、時間が減速したように、プレイヤーに感じさせる。絵が止まっているから、時間も止まっているように感じるので、原理としては単純だ。
ノベルゲームの時間性については、すでに上記エントリで検討している。しかし、立ち絵と一枚絵の違いが主題であった。ここでは、立ち絵の時間性に注目したい。
リミテッドアニメのリミットとしての立ち絵
立ち絵で進行するシーンは、一枚絵に比べれば「現実に近い時間」だろうが、それはあくまでも「デフォルメされた時間」でもある。そのデフォルメの仕方を「リミテッドアニメ*1のリミット」と位置づけたい。
もちろん、ノベルゲームの立ち絵は、アニメのようになめらかには動かない。だが、イラストやマンガと違って、実際に動くとも言える。そこで、立ち絵の身体には、全く運動性がないかと言えば、少しはあるだろう。
そして、ノベルゲームにはまた別の運動性・時間性がある。それは、マルチメディアの各メディアが、バラバラの時間で動くという、離接的(異なる流れを離したり接続したりする)な運動性だ。
具体的には、立ち絵の動き、テクスト、BGM、ボイス、それぞれが別個の時間で表示・発音される、ということを指す。さらに、立ち絵とウィンドウの顔アイコンで表情が異なっている、といった現象を加えることもできるだろう。
この時間性・運動性は、たとえば、疑似同期的だと言い換えられるかもしれない。ここでの「疑似同期」というのは、テレビの放送が完全に同期した時間なのに対して、ネットの通信は擬似的な同期でしかない、というくらいの意味だ。
情緒の平板化と多面化
それでは、そのような時間性を立ち絵が持つことで、どのような表現が可能になるのか。
ひとつには、情緒の平板化がある。どういうことかというと、立ち絵の運動は、リミテッドアニメよりも、さらにデフォルメがきつい。また、これは少し別の表現だが、動画・映像の早送りでは、情緒も情景も飛んでしまう、という感覚は分かってもらえるだろう。
したがって、立ち絵の瞬間的な変化は、情緒表現を平板にする。さらに付け加えれば、書き割り的な背景との組み合わせは、情景表現を平板にする。平板というのは、ネットの顔文字のような表現が平板だという感覚だ。
この「平板」という語は悪い意味に限らない。もし逆に、実写の時間で同じことをしたら、間が抜けてしまうようなやり取りができる。具体的に言うと、掛け合い漫才的なやり取りだ。
それは、情緒的ではなく、記号的・無機的ではある。だが、ミニマルな音楽に没入するような、独特の体験を可能にする。それに、情緒が貧しいままかといえば、一枚絵のシーンで情感を描くために、全体ではバランスが取れているのだ。
もうひとつには、情緒の多面化がある。平板なのに多面的なのか、と思うかもしれない。立ち絵のみを見れば、たしかに平板だ。しかし、前述のようにマルチメディアであるため、文章や音楽や声と、立ち絵との間に解離が生じる。
具体的に言うとたとえば、立ち絵は笑っているが、声は怒っており、文章や音楽ではまた違う感情を表現している、という状況が起こる。そのズレが、アイロニカルな表現となるので、そのことも掛け合い漫才的なやり取りに向く。
付論:シニカルな主人公を描きやすい環境
視点を変えて、他メディアと比較してみよう。
かつての巨大ロボットものアニメでは、熱血的な主人公が多かった。しかし、アニメが、美少女ゲームやライトノベルを原作にするようになり、弱体化するようになった。弱体化というのは、主体的でなくなる、受動的になるという意味だ。
弱体化している状況の中でも、そこそこ描き分けはされている。たとえば、弱気な主人公と、シニカルな主人公では違う。ただし、そのどちらも、大きく分ければ受動型の主人公に分類できるだろう。
そして、シニカルな主人公といっても、ラノベの主人公と美少女ゲームの主人公では、私の見方では微妙に異なる。まず、ラノベは、文章媒体の性質から、他者と切り離された状態で、自意識が肥大しやすい。だから、ラノベの主人公のシニカルさは、観念的なシニカルさだ。
一方、美少女ゲームの主人公は、これまで述べてきたようなノベルゲーム媒体の性質によって、情緒が平板化・多面化する環境に置かれている。平板なやり取りの中で、自意識が浸食されていく。だからむしろ、美少女ゲームの主人公のシニカルさは、関係的なシニカルさだ。
付け加えて言うと、美少女ゲームでは、常に立ち絵が表示されるため、画面が遊ばないようにしたいだろう。すると、主人公の内面を直接描写するより、ヒロインとの掛け合いから、間接的に描写する方が向いている。
*1:1秒あたりの動画の枚数が制限されたアニメ