ネットで文章修行は本当に必要か?

ネタの占めるウェイトが圧倒的に多い

前の記事では、文章作法自体に、疑問を呈することはなかった。だがそもそも、ネットの読み物に、文豪の文章読本を読み修行することが、はたして必要だろうか?

これは目的による。小説家になりたいなら必要だろう。しかし、単にネットで多く読まれたいだけなら、文の綴り方の上手さはさほど必要ではない。むしろ、ネタの占めるウェイトが圧倒的に多い気がする。たとえば、「会社でうんこを漏らした」は、多くのブックマークを集めた*1

ひとくちに「絵を描く」といっても、アートの個展を開くのと、同人イベントに参加するのでは、全く方向性が異なるだろう。同人で人気なのは、二次創作である。同様に、ネットはコピペ的なテクストが人気筋だ。だいたい、2ch系コピペブログは、自ら書かなくても大量のアクセスを集めている。次に、そのコピペ的テクストの傾向と対策を示そう。

文章の完成度にこだわる必要もない

  • 未完成で不完全なものが求められる
    • 穴だらけのエントリのほうが、突っ込みトラバやブクマが付いて、結果的に多く読まれる
    • もうだめぽ」「あなたを犯人です」など、既存の日本語としておかしいほうが流通する
  • 際限なく脱線するものが求められる
    • 推敲して削るより、余計なものを付け足すほうが、その付け足した部分(だけ)が読まれる
    • タイトルで示したような本題と関係ないものが、そのサイトの主力コンテンツになっていく
  • 文章の表現手段がいくらでもある
    • コピペ(改変)、縦読み、フォントいじり、顔文字、AA、など
    • Twitterでさえずる、ブクマを付ける、ニコニコ動画にコメントを付ける
  • 文章以外の表現手段がいくらでもある
    • (稚拙な)絵を添える、ブログ色紙という手法
    • ブログに写真を貼り付ける(だけ)、ニコ動で喋れば書かなくて済む
    • ニコ動でMADを作る、Pixivで絵を描く、など

解説

ネットの文章作法記事には、文豪を列挙しただけで実行しない、自己満足的・自己陶酔的なものがある。「芸能人の誰々に似ていると言われたい」というメンタリティと似たようなものだろうか。もちろん、実際の文章力向上には、あまり役に立たない。

それよりも、ネットがいかに多様な表現手段に満ちているかを理解し、その中から自分に合ったものを模索したほうが、有名になりたいだとか、自分の思いを伝えたいだとか、仲間を見つけたいだとか、野望が何にしろ、より達成しやすいだろう。「目的のためには手段を選ばない」というやつだ。

そもそも、かりに小説家になりたいとしても、文芸誌の新人賞よりケータイ小説のほうが、可能性があるだろう。いや、ケータイ小説に今から参入しても、完全に乗り遅れだろう。しかし、第2・第3のケータイ小説(の出現)を狙うほうが、よほど有望そうだ。――つまりはそういうことなのである。

*1:もし題材が「公園で犬を散歩した」だったら、これほど注目を集めないだろう。ただ実は、このエントリは意外と良く書けていると個人的に思う。最も効果を上げているのは、改行の多用だろう。急いで気が散っている状態を描く文体として、ふさわしいと感じた。