「○○を上手くするX個のTips」の鵜呑みは、かえって事態が悪化する

「写真をちょっと面白くする構図のくずし方」

写真をちょっと面白くする構図のくずし方 - ハックルベリーに会いに行く

上記エントリでは、「写真を簡単に面白くする、構図のくずし方」を紹介している。しかし、その多く*1で、作者の言うような効果をあげていないと感じた。ここで写真の撮り方をどうこう言うつもりは全くないけれども、一読者として見たときに、元(上)の例のほうが良い写真だと思う。

「あなたの文章を(ほんの少し)綺麗に見せる九つのテクニック。」

あなたの文章を(ほんの少し)綺麗に見せる九つのテクニック。 - Something Orange

こちらのエントリでは、「文章を(ほんの少し)綺麗に見せる」テクニック*2を解説している。それ自体は構わない。しかし、特に「ひたすら削る」については、当の作者自身が、実行できていないように思われるのだ。

ネットにも文章について書いた記事は少なくない。そこで、ぼくも文章の書き方について書いてみようと思う。

写真と違って文章の問題点は一目で分かりにくいので、上を例に取ろう。(全体がそうだが)この短い引用部だけをとっても、「文章」「文章」「書いた」「書いて」という語の反復が目に付く。いわゆる「感感俺俺」状態だ。それに、「書いた」は、「誰かが書いた」か「書かれた」のほうが、適切だろう。推敲する余地がありそうだ。

だがそもそも、全体的に構成が冗長だと感じた。冒頭のエクスキューズは全部削って、タイトル→「一、理想をもつ。」→「あなたにとっての理想の文章を見つける、そこから始めよう」と、前置きなしに始まっても良さそうなくらいだ。「初め書き上げたものを半分にするつもりで削っていくとちょうどいい」とも言っているし。

もちろん、同じような例が私のブログからも、探せばザクザク出てくるだろうから、偉そうなことは言えない。私も「自分の稚拙は十分に承知」しており、この「文章は自戒と受け止めて」頂ければ結構だ。ただ、「一語、一字でも無駄を削りつづけよう」とまで言うなら、まず、「あなた」から、記事自体で示す必要があるのではないだろうか。

「○○を上手くするX個のTips」の鵜呑みは、かえって事態が悪化する

上のふたつのリンクとも、たくさんブックマークされているので、多大なアクセスがありそうだ。そのように、いわゆる「X個のTips」ものが、なぜ人気なのかといえば、お手軽でお得に見えるし、安心感を与えるからだろう。「車輪の再発明」を防ぐためにも、そうしたものをとりあえず拾っておくのは悪くない。

しかし、吟味は必要だ。そのような「Tips」や「コツ」を鵜呑みにして、あるいは分かっているつもりで、かえって事態が悪化する場合がある。もう少し補足すると、そのコツ自体が間違っていなくても、必ずしもそれを(理想的に)実行できるとは限らない。「言っていること」と「やっていること」のズレ、要するに言行不一致である。

「知らない」状態から「知っている」状態へはすぐに移行できる。「知っている」状態から「分かっている」状態へはそれより遠い。そして、「出来ている」状態はさらに遠い。*3「出来ている」状態へ通じている道は、試行錯誤だけだろう。そしてそれは、「安心」より「不安」の側を通る、「自由」な道である。

*1:「その6」の例は良くなっているかもしれない

*2:「留意する」「気を配る」「意識する」というのは、テクニックというより心構えに近いと思われる

*3:ただ、「案ずるより産むが易し」ということわざもある。「初めの一歩」に関しては、こちらのほうが当てはまるかもしれない