ブロガーとライターの微妙な関係

文章で稼ぐ人間が、無償のブログも書く理由 - 絵文録ことのは

数々の本をお出しになっているアルファブロガー松永英明先生ですが、「sirouto2さん」にあわせて、id:matsunagaさんとお呼びさせて頂きます。

「プロモーションツールとしてのブログ」

ライター、特に編集プロダクションの専属ではないフリーライターにとって、仕事をもらうための営業活動というのは非常に大きな部分を占める。

本当に仰る通りだと思います。フリーランスは営業や事務も全て含めて仕事をする必要があります。上手く配置されれば*1、実は組織にいる方が、自分の得意なことに専念できるかもしれない。

レストランのコックは調理に専念できて、皿を持っていったり洗ったり、注文を取ったり勘定をしたり、といった雑務に縛られない。しかし、ラーメン屋を一人でやっているとそうはいきません。

どこに営業に行くかというところまで、自由度を活かすことができるまでになれば、フリーの意味が出てくるかもしれません。とにかくフリーは雑務が多いので、その部分をどうさばくかが大きな問題です。

営業のためのブログという問題について、わたしはきっちりとまとまった内容を公開する「表ブログ」と、書き散らす「セカンドブログ」を使い分けている。

matsunagaさんはきっちりと使い分けられていますが、私の場合は経験上同じメディアだと混濁してきてしまうので、閲覧や字数が制限されている「mixi」や「Twitter」で使い分けています。そして、単に使い分けるだけではなくて、ミニブログ→ブログ→紙媒体という風に、あるネタを雪だるま式に大きく転がす道ができればいいなと考えています。

「ブログと商業文章の違い」

ブログ(またはネットの文章)と商業用の文章の最大の違いは、「編集者が介在するか否か」という言葉で表わせると思う。

ライターと編集者は、プログラマー(PG)とシステムエンジニア(SE)だとか、政治家と官僚みたいな関係だと捉えています。マネージャー・ディレクター・プロデューサ……名称は何でもいいのですが、中間管理的な役割が必要なのは、それだけプロジェクトが大きいからでしょう。

読者側のときは気に留めていなかったのですが、文字を書く以外のところに発生する雑務(たとえば紙という物体を流通させる部分)が意外と大きく、一定以上の規模のネットや同人でも、編集者役の人がいないと回らないことがあります。

ブログの場合、編集的な制約が生じないのが魅力ですが、あえて編集的な視点が必要な場合、一つは自分でそのように見ることと、もう一つは大手ニュースサイトや常連ブックマーカーを、そのような役割に、仮想的に見立てています。ライターの経験が浅いですから、ブログの読者数から何かを得られればいいなと思います。

「薔薇を生む、わたし。薔薇を愛でる、あなた。」(商品と作品)

『商品』なのか『作品』なのか、あるいはその比率がどのくらいなのか。これは表現で食おうと考える人にとっては避けられない問題だ。

「商品」と「作品」という区分をすると、作品の方が純粋そうなイメージがあるので、公私の区分で捉えています。出版はパブリックにすること*2なので「公」です。

だから、「私」の好き嫌いとは別です。「好き」は聞こえがいいですし、「お仕事」でやると形骸化する面も確かにありますが、「好き」でやることには意外と保守的な面があります。自分の好きなようにやれる場所からあえて外に出ることで、成長する部分もあると思います。

ところで『m9』ではゲームの記事を書いていて、ブログの方では社会問題を書いていたりするのは、なんだか転倒しているようですが、それはつまり、先行する専門家があまりいない若い文化でないと厳しいということを意味しています。

それではブログの方は何かというと、「作品」「表現」は大げさなので、外食と自炊のたとえを使います。外食は味やサービスで選ぶでしょうが、自炊は安いことや栄養があることが重要です。毎日食べるので、あり合わせのモノを上手く調理する必要があります。

「商業用文章のクオリティを高める」

ここはわたしと少し違うところである。わたしは、ネットであろうと紙媒体であろうと、正確さという点ではさほど変わらない。むしろ、ネットの方が網羅性が高いという意味で、正確であるかもしれない。

matsunagaさんはネットの方が正確、というのはすごいですね。私の場合、割りに合わないものは長く続かないので、ネットに書くものはネットで完結させることで、資料代や調査の時間を、広告収入に見合う範囲内に収めたいという考えです。……たとえば、一記事につき一冊の本を資料にしていたら、毎日の更新が大変です。逆にもしブログを専業にするのなら、それくらいのことは必要かもしれません。

つまり、正確さという質ではなく、理解されやすさという質を、わたしは重んじているのだと思う。

仰る通り「理解」しやすいというのは重要だと思います。私の『m9』の記事は、(あれでも)調べて書いたことをかなりばっさり捨てて直しているのですが、理解しやすいかというと疑問が残ります。同じ『m9』でも他の方、たとえばgotanda6さんの記事は理解しやすい。それはもちろん私が未熟なのですが、もっと読者に配慮が必要だと思いました。

私がブログ上がりのライターなため、どうしても「ブログで読めばいいじゃん」という意見が出てきて、それはそうなのですが、ではマニアックにして差別化するかというと、むしろブログよりもっと分かりやすくしたいと考えています。

言いたいことが不鮮明・不透明になってしまう現象は、全体が見えていないときに起こりがちです。すなわち、正確さが細部の問題なら、理解しやすさは全体の問題、と捉えています。今は未熟ですが、だんだん全体を見通す力をつけて、いつか単著に挑戦できればいいなと思います。

「紙媒体とウェブの違い」

わたしにとって、紙媒体の「レイアウト」は、文章そのものにも大きな影響を与える重大な要因である。

確かに、ブラウザなど読者の環境で文章のレイアウトが変化することは、ネット文書の大きな特徴だと思います。CSSである程度の見栄えを指定できますが、RSSで読んでいるような人にはあまり関係ありません。

ネットはほぼ全て横書きだというのも、ネットの特徴だと思います。紙媒体だと例えば、ライトノベルも含めて小説はほとんど縦書きです。ネットの横書きは、海外(特に欧米)の文化が元になっているでしょうから、縦か横かは文化圏の違いでもあります。ただ、AA・顔文字には日本独自のものもありますが、新しい横書き文化です。

「紙面の黒さ・白さ」は、文章密度の問題として捉えています。漢字を使うと見た目が黒くなるだけでなく、内容も重くなります。漢字を使わなくても、英文や数式が入ると、とたんに密度が増します。このブログは一般向けなので、英文は数式は使いません。

専門用語を使うときは、日常用語としてもだいたい意味が通るものを使うようにしています。たとえば「他者」という語には、独特の文脈を込めて使っていますが、別に「他人」という一般的な意味で読んでも理解できます。

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*1:しかしこれが一番難しいし、運もあるでしょうが

*2:実はインターネット上の文書も出版物に相当するが、今は深く追求しない