努力と情報

概要

1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51

  • 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
  • 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。
  • 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。

「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方 - 分裂勘違い君劇場

「現状を変える一発逆転」はいたるところにある。多くの人は、勇気がなかったり、ぼんやりと生きていたりするために、一発逆転のチャンスが目の前を通り過ぎるのを見過ごしてしまっているだけだ。

苦労は必要ない。努力は報われると限らない。希望は創造性にある。 - 萌え理論Blog

  • 苦労を努力に変換するのがよい
  • 努力はベクトルで、力と方向を持つ
  • 自己の労働から他者の欲望の視点へ
  • 努力に価値を認めるのが精神論、価値ある努力を目指すのが情報論

はてブを見る限り、「情報論的な努力」というアプローチが欠けているので、それを書く。「努力」と「情報」は、異質な組み合わせに思えるだろうから、以下で両者の関係を示す。

努力に価値がある、とするのが精神論だが、価値ある努力をするためには、情報論が必要になる。情報性は、共通化と差異化の両面から生まれる。その両極が相反しないのは、「差異と反復」という形態を取るからだ。どういうことか。

差異と反復

  • 第一にパターン化、第二にパターンを変化させ、最適化する

イチローが毎日昼食をカレーにしているという話があったが、ここに今まで努力を見出していた人はごくわずかだろう。だが、毎日カレーを喰うことで、まず何を喰うか考えるコストがなくなるし、量や味が同じであれば食欲の変化によって、体調の変化も分かるだろう。まあ普通は、カレーでもステーキでも、毎日食べたら拷問に近くなってしまうが、応用は利く。

以前、画家のボブ・ロスの話をしたときも触れたが、実装を最適化するためには、仕様や環境が固定されている必要がある。例えば、度重なる仕様変更に見舞われれば、それまでの最適化もやり直しになってしまうだろう。また、仕事場が頻繁に変われば、業務知識が増えていかないだとか、そういったことだ。

あるいは、ゲームで、敵や弾がランダムに出たり動くと、攻略パターンが作れず上達しない。特に昔のファミコンは、その理由から異様に難易度が高くなっているものが見られた。努力には蓄積するものとその場限りのものがある。蓄積するためには、第一にパターン化して、第二にパターンを微妙に変化させて、向上させる必要がある。

前回、努力はベクトル量で方向性も重要だと書いたが、方向の調整には情報が必要だ。情報化された努力は、差異と反復の組み合わせの形態を取る。単純化して繰り返し、細かい条件の違いで分岐して、情報処理される。だから、努力を構造化する必要がある。スパゲッティが絡まるように、散漫で漠然とした認識だと、結果が向上しない。

ストーリーの意味からゲームの情報へ

  • 「やればできる」幻想より、「やってできなかった」事実に、情報価値がある

精神論的な努力論には、情報性を高める観点が欠けている。「努力は必ず報われる」では情報価値がない。無根拠な断言にも価値がない。そうではなくて、情報という観点からは、どの努力が報われ、どの努力が報われないのか、白か黒か、1か0か、判断を少しずつ積み重ねていかなければならない。もちろん、割り切れない領域はあるが、全てがグレーゾーンでは混沌としてしまう。

そして、凡人であれば、八割方は実らない努力だろう。しかし、それを事前に完全に避ける方法はない。よく「無限の可能性がある」などというが、時間は有限なので、成功する可能性があっても探さなければ、砂金は砂に埋もれてしまう。そして、幻想は情報にならず、失敗は情報になる。つまり、「やればできる」という幻想よりも、「やってできなかった」事実の方が情報価値がある。

ここで、下手なアウトプットは周囲が貶して、モチベーションが下がるだろう。しかし「批判するな」と言っても仕様がない。そこでスルー力の向上によって、雑音をフィルタリングしてクリアな信号を得なければならない。その際、自意識が障害になるかもしれない。ポーカーフェイスの無表情が勝負で有効なように、なるべく無意識で機械的に処理するのが有効だ。

人生に「物語」や「意味」をつける言説は大量に消費されているが、人生はお話ではない。虚構ではなく現実で実践するために必要なのは、「構造」や「情報」になる。そして、努力を物語化・幻想化ではなく、構造化・情報化するためには、ストーリーの意味からゲームの情報へと視点を転換する必要があるのだ。

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