「ボブの絵画教室」からエンジニアリングを学ぶ
なつみかん@はてな - ニコニコ動画の「ボブの絵画教室」が面白すぎる
TV番組「ボブの絵画教室(The Joy of Painting)」では、画家ボブ・ロスが、絵の具を乾かさないまま塗り重ねる技法(ウエット・オン・ウエット)によって、劇的に短時間で風景画の油絵を仕上げる、その創作過程を映している。
「ボブの絵画教室」はただ見ているだけでも十分面白いのだが、絵が描けなくても参考になる要素があるので、考察してみよう。もちろん真似できない職人芸的・熟練的要素があることは承知で、単純化した要素のみを考える。
ハード
まず絵の具を見よう。既に述べたように、絵の具を乾かさないまま塗り重ね、そのことによって乾燥を待つ時間を省く。ここで、油分の少ない絵の具を使っているというような工夫がある。
次に筆のことを考える。「ハケ」と形容した方が近いような、幅の広い筆を使っている。学校の美術の時間などでは、もっと細い筆を使っているだろう。単純に考えると、幅の広い筆を使うと、塗れる面積が大きい。しかし、だから早く仕上がるかというと、その分小回りが効かないというトレードオフが当然あるだろう。
しかし更にキャンバスとの関連を考えてみよう。キャンバスと筆の材質によって塗りムラが生じるわけだが、この偶然的要素を、必然的な表現のように鑑賞者に見せるところにポイントがある。書道で墨のかすれも書の構成要素になっている、というようなことに近いかもしれない。
ここで、風景画(モチーフが自然物の絵)だということが決定的に効いてくる。樹木のような自然物は細部の形がある程度ランダムで構わない。もしこれが人物画・肖像画だとか機械などの人工物の絵だと、元の形が決まっているので、再現しなくてはいけない情報量が多い。だから、専門特化で固定された仕様の要求に合わせて実装を最適化する、という合理性がある。
ソフト
ここまではハードウェアを見てきたが、ソフトウェアにも触れておこう。ここで言うソフトとは画家としての眼、すなわち物の見方のことだ。どうしてあんなに細部が適当なのに絵として成立してしまうかと言えば、「全体を見る力」更に正確に言うと「全体と部分を同時に見る力」があるからなのだろう。
大昔から、例えばバロックの頃にも、細部の筆致が適当なのに、離れて見ると全くそれを感じないという、魔術的な描き方が存在した。われわれも、テレビやPCモニタの画面は小さな点で構成されていることを知っているが、普段はそれを意識しない。しかし、画家はミクロとマクロの視点を両立して、ミクロでのランダム性にある程度身を任せながらも、マクロでの整合性を調整することができる。
そして出来上がった絵を見ても、鑑賞者はその二つのレベルの違いは認識できない。というよりもむしろ、認識できないように上手く隠蔽しているのが良い絵だとも言える*1。つまり、全体と部分の調和だとか、部分の総和を越える全体性といった、伝統的な難題を実践しているのである。