友情と恋愛の水平垂直モデル

友情と恋愛の水平垂直モデル


友情は水平性を持ち恋愛は垂直性を持つ、男から見た女との関係の、水平垂直関係を考える。この構造モデルを図で示すと上図のようになる。図が示す情報は、恋愛と友情の二つのベクトルで座標が構成されていることと、恋愛>友達>仲間の順に上下に並んでいることと、仲間>友達>恋愛の順に人数が多いこと。図は上に向かって恋愛度順だが、反時計回り(左)に90度倒すと上に友情度順、45度倒すと上に二つのベクトルを合成した愛情度順の図になる。

重要性の基準によっては、必ずしも図の上に行くほど重要な人間であるとは限らない。これは仲間に分類される人数が多いので違和感があるかもしれないが、例えば仕事仲間と私的な友達ではまた別だと考えると、数が多くても重要な存在はありうる。すなわち、友達は私的関係で成立する友達としたい。だから、仕事仲間と再会して飲み友達になった、というようなシチュエーションを仲間から友達への移行と考える。

なぜ右上が空白になっているのか。それは男女間では*1、恋愛と友情の両立が難しく、一定以上の段階でどちらかを選ぶ分岐路に差し掛かるからだ。そして男は恋愛関係を望んでいるが、女は友達のままでいたいと断るパターンが出てくる。この問題は興味深いが、恋愛と友情の両立の問題を考える前に、今回それぞれ別個に考察しておこう。

恋愛の固有性

  • 恋愛は友情よりも範囲が狭い
  • 恋愛は排他独占的な対関係がある
  • 恋愛は非対称的行為である
  • 恋愛は友情にない表裏構造がある
  • 恋愛は盲目的側面がある

前の記事で見てきたように、恋愛関係は友情関係にない様々な特性を持っている。これは(一定の段階以上の)恋愛関係が性関係を含んでいることに由来する。性関係の価値は貨幣モデルで考えると分かりやすい。友情よりも範囲が狭く、更には1対1の排他独占的関係であるのは、単一貨幣経済に似ている。もちろん、実際には円とドルと両方流通する市場があるように、浮気ができる環境もあるが、まずは単純化して考える。

非対称性は買いと売りの非対称性で捉えられる。貨幣を商品に変えるより商品を貨幣に変える方が難しい。嘘だと思うなら物を売ってみると分かる。普通は男からすると友達より恋人になる方が難しい。性関係は「一線を超える」関係であって、経済市場における貨幣制度が特権的な位置を占めているように、恋愛市場において性交渉は特権的な位置を占めている。

ここから裏表構造や盲目的側面のことも分かる。裏の部分の不可視性については「裏で金が動いている」、追求の自己目的化に関しては「金の亡者」という言葉があるが、それは性に関してもある程度当てはまる部分がある。金が人格を変えてしまうように、恋にも人格を変える力があって、その流動性に対する選好が、友達より恋人に価値を認めて、逆を難しくする。ただし、ハイパーインフレのごとき特殊なハーレム情況は、現実にはまずないけれども、純粋な可能性として想定するのは不可能ではない。

友情の普遍性

恋愛と違って友達は一人だけに限られない。他に友達を作っても裏切りにはならない。「友情に裏表はない」としたものだ。「自由・平等・友愛」のように友愛(博愛)が並べられるときには、「人類皆兄弟」のように、最も広範囲に成立する愛を表現している。この普遍性は恋愛の個の関係とは対照的だ。もっとも、「友人同士二人きりだけで飲みたい」というように、限定性が入ることがある。これは親友という分類になるだろう。

*1:同性愛者の男男間・女女間は今回は扱わないが、やはり両立の難しさはあるのではないだろうか