時計仕掛けのジレンマ

イノベーションのジレンマ

I 慣性という名の惰性 I - 将棋ソフトの方向性は間違っていると思う件

784 :名無し名人:2006/10/31(火) 18:08:14 ID:+ICCmP71
プロの将棋はまだ「激指5」じゃ分からんだろ。
10年後なら分かるらしいが。

787 :名無し名人:2006/10/31(火) 18:19:34 ID:+ICCmP71
最新版はアマ6段あるらしい。
とても勝てん。将棋人口の99.99%は勝てんと朝日に載ってた。

(…)ようは現在の将棋ソフトは強すぎるのだ。そもそもローエンドのほうが市場はでかいという大原則を思い出して欲しい。ローエンドのニーズはいったいなんなのかをきちんと考えないまま、ともかくハイエンドのさらに先を目指して突っ走っているのが現在の状況だ。


確かに最近の将棋ソフトは強過ぎる。それに現代将棋は現代思想や現代美術のように難解だ。居玉のままで戦う藤井システムや、通常の駒得や手得の基準が成立しない85飛戦法は、ポストモダンな将棋だと言えるかもしれない。それはともかく、リンク先ではこの問題を典型的な「イノベーションのジレンマ」として扱っている。例えば、次世代機が画像が美麗になっても、つぎ込んだ予算の割りに需要がそれほどない、といった事例も関係あるかもしれない。しかしそれでは、いったいどうすればいいのか。


イノベーションのジレンマ」を通り抜けることができるのは、「コミュニケーションのアレンジ」だと考える。人間同士の関係は科学技術の進歩のように極端には変化しない。将棋の例で言えば、ソフトと将棋を指す・指せる人間がいなくなったとしても、ネットの対人将棋を指す人間は残るだろうということだ*1。「人間で太刀打ち出来ないのなら、万物の尺度を人間にすればいいじゃない」といったところだろうか。


話はもう少し続く。麻雀ソフトがいくら強くなっても、おそらく脱衣麻雀は残るのではないだろうか*2。アイテムで手配が透けるとか積み込みするとか、イカサマでルールを上書きしてしまうため、難易度の調整はどうにでもなる気がする。更に考えると、エロゲはイノベーションのジレンマはそれほど致命的ではないような気がする*3。萌えは個人で好みが分かれるため、323絵のような流行するデファクトスタンダードはあるけれども、それでも他の分野に比べれば技術革新の競争は甘いところがある。すなわち、イノベーションのジレンマに対するレジスタンスが萌えである。これを何かに生かせないか。

*1:ただし、対戦でソフト打ちをされたりする問題も残る

*2:そしてまた、ブルゲの脱衣将棋のようなソフトも残るだろうか?

*3:3Dゲームなど技術が重要な分野があるし、テキスト量の肥大がそれに近いかもしれないし、人工知能や物語生成などが進歩すれば分からないが