小説のテーマから遠く離れて

何を書くか・いかに書くか

テーマなくして小説は語れない

テーマとは、作品の主人公の貫通行動が、沈黙し訴える社会的な意味です。

 主人公の行動そのものが暗黙の中にアピールする
 倫理的な意味こそ「テーマ」に他なりません。

ストーリー作りのヒント

呈示するテーマの強烈さによつて存在價値を主張する小説が今の時代餘りに多すぎる。實際の所、さうした小説のテーマは、屡々「紛ひ物」に過ぎません。テーマに依存する小説の價値は、テーマの價値に依存します。或は、テーマが古びると、テーマに依存する小説は古びてしまひます。


小説は大別して、その小説の目的が「何を書くか」と「いかに書くか」の二つに分けられると思います。ちょうど上記のそれぞれの引用に対応します。「何を書くか」の「何」がテーマで、例えばプロレタリア文学です。対する「いかに書くか」の「いかに」がフォルムで、例えばフォルマリスムです。あまりよく分かりませんね。


もっと簡単に言うと、テーマが不在でも面白い小説は可能で、例えばミステリがそうです。もっとも松本清張とかいますし両立できないわけではないのですが、(ノックスの十戒とか)ルールに従ってトリックを解くという推理ゲームが(本格的)ミステリの本質だと考えています。もちろん殺人犯を見つけるのは勧善懲悪に沿っていますが、最初に(または連続)殺人が起きた時点で犯行自体はできている(探偵は殺人を防がないというよくある非難)わけです。


もう少し細かく言うとミステリも二分できて、「犯行はいかに行われたか」と「犯行の動機は何か」という二つがあって、社会派ミステリは後者のテーマに興味があるのでしょう。念を押すと、この場合も二つは排他的な関係ではなくて両立できます。必ずどっちかというわけではありません。

テーマは小説より先か後か

ここでもう一ひねりして、テーマがある小説についても、更にテーマが先にあるかどうかで分けられると思います。ここでのテーマが後というのは、作者が後付けでとってつけたように語る、という意味ではありません。ボトムアップ的に、小説およびそれを読む読者からテーマが生まれてくるようなものを指しています。


恋愛は常に事後的に発見されるものです。「これからあの娘に恋をすることに決めた」と意図的に制御することは恋愛性にそぐわない気がするでしょう。つまり、小説のテーマというのは読者の恋心なのです。それは手抜きで薄っぺらく書くことの肯定には繋がりません。読者に恋してもらうには、(美辞麗句を並べるという意味ではなく)小説を美しく書く必要があります。


「あなたは私の(僕の)ことが好きなんでしょう」と言うのは、いやらしいでしょう。同じようにもしある小説を読む前に「あなたが小説に求めるもの=テーマは○○です」(たとえそれが「正義は相対的である」のように凡庸で特に反論する気がおきないものであっても)と示されたら、あまりに予定調和で醒めてしまうでしょう。つまり、作者が意識的に与えるものではなくて、読者が求めるものなんです。テーマは結果的です。


しかし、与えないのに求めるものが得られるのはどういうわけか、と疑問を持つ人がいるかもしれません。最後にその謎を明かせば、作者が無意識で与えたものが真のテーマだと捉えています。無意識というのは潜在的な多重人格のようなことではなくて、作者が書き付けた言葉が作者自身の手を離れて、その想定の範囲外にある他者に届く道のことです。