涼宮ハルヒの反論

ハルヒ』はエロゲオタコンテンツか

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ワラタ2ッキ:エロゲは最低!! 反論先のコピペ
#A1FE9F - バレたからもういいや - ハルヒを喜んでるのはエロゲオタだと俺のCPUが答えた 原作*1

ハルヒを喜んでるのはエロゲオタ

ヒロインはキチガイ、もうこれでエロゲ。
オタはキチガイ、知恵遅れ、かたわが出てくるような女の位置がオタクよりも一段下になってる被差別女とセックスできるエロゲが大好物だから。

その他のラインナップは巨乳、綾波、妹。あーもうエロゲ。
これで主人公の男友達がショタとか気の良いアホとかありえないと思ってたら両方いるのでエロゲ磐石の構え。

お次はセリフ廻し、高校生ではありえないぐらいクドい、クドくて長ったらしい。
はいエロゲ。
エロゲが好きな奴はこういうオタ臭いクドい鈍重なじゃんがらこってり全部乗せの掛け合い漫才みたいなのがピンポイント。

お次はセカイ系キチガイ女のご機嫌を損ねるとセカイが滅ぶからみんなでご機嫌を取ろうぜ。
世界の存亡来た!きちゃった!来たよコレ!
キミとボクとでセカイの存亡うっわーエロゲ。

エロゲ丸出し。エロゲ丸かじり。裏設定は異様に複雑。オエー。おええ。おええ。
単なる萌えキャラがくるくる動くだけのコントアニメなのにいらない設定はやり過ぎるほどくっつける。
奴等は蛇足という言葉を知らない。伏線ターム置きほいだい。そして回収もしない。
はいエヴァ以降のエロゲー。進歩しないメディアとオタクは恥を知りなさい恥を。

そして男はキチガイ女を口では嫌がりつつも離れない、呼ばれたら来る。聞かれたら答える。
嫌なら無視しろ放置しろ逃げろみんな奴を取り押さえて!
ほんとエロゲオタは「エキセントリックな行動をする美少女にロックオンされて俺をグイグイ引っ張っていく」みたいな受身な妄想が大好きですよねー。
(改変コピペの方から引用)


今回の対戦相手はこのコピペ。ネタにマジレスなのだが、ハルヒに抱くありがちな感想を整理している、というかハルヒ自体の類型性をかなり上手く抽出して指摘していると思う。リンク先のコメント欄にもあまり冴えた反撃がない。しかし、もちろんそれだけでブレイクしたわけではない。私の考えでは前回述べたように「祭り型コンテンツ」という性格が大きいと思う。そこで、以下で各個迎撃していく。

ハルヒの思考について

被差別女とセックスできるエロゲが大好物

エロゲ全体の割合から見れば、そんなに偏ってないと思う。女教師とか女保険医とか女医とか看護婦とか巫女とか姫とか権力的・権威的(例えば病人は医療側に対して受動的)な女性の設定も相当多い。そもそも仮に「被差別女」が全く出てこなければそれは差別ではないのか、むしろ排除ではないか、というところも微妙な話。

ヒロインはキチガイ

だいたい、「ヒロインはキチガイ」ということなら、現在放映中の『ひぐらし』の方がよほどあてはまるだろう。いや、本当はヒロインの背後に微妙な事情があるんだけど、少女系恐怖マンガのようなアニメ版の描写(例えば口の周りに皺が出る笑い方とか)によってそう見える。少なくともアニメから見始めた人が鬼隠し編のラスト付近を見たら、そう見えるはず。


ハルヒ』に戻ると、どちらかというと「電波系」の話に近いと思う。そして電波は現実化する。擁護になっていないと思われるだろうか。これは個人的な分類なのだが、電波系は狂気の中ではかなり弱い部類だと思う。どこが違うのかというと、電波系は必ずしも有害な存在ではない。必ずしも悪意を抱いていない。ハルヒDQNで電波だが邪気は無く、天真爛漫なので皆に(視聴者にも)受け入れられている。これを反転したものがリアリズム的狂気で、例えばやはり今放映中の『Fate』の葛木の「それは悪いことなのか?」の論理である。

ヒロインの萌え設定について

その他のラインナップは巨乳、綾波、妹。


例えば『ひぐらし』のヒロインは、序盤では絵に描いたような萌え設定を演じようとする。また、メイド(喫茶)云々の話は現代萌えオタの嗜好だから、昭和の田舎では相当無理があるだろう。しかし、その類型的なヒロイン像が揺らいで章ごとに異なる横顔を見せるところが魅力的なのである。ハルヒで言えばやはり長門に相当するだろう。


コピペでは触れていないが、いとうのいぢの絵は確かにエロゲと関係する。しかし、他の作品より突出してエロゲ的萌えを体現していて、だからヒットしたというわけでもないだろう。というのは、例えば『シャナ』ものいぢ絵だが、『ハルヒ』と同じような受容をされたわけではない。だいたいエロゲ的というなら、それこそエロゲ原作でアニメ化した作品がふつうにある。ちなみに私は別にエロゲ原作だからと差別したりしないが、ハルヒとの結びつけについては無理だと思うので、こうして批判している。

キョンのナレーションについて

お次はセリフ廻し、高校生ではありえないぐらいクドい、クドくて長ったらしい。

確かに(特にアニメ版では声があるので)主人公キョンの語りはかなりくどい印象である。しかしこれは、テキスト1MB以上もふつうになった大長編化したエロゲの流れとは別で、むしろ例えば西尾維新の「戯言」のように、ライトノベルの自意識のあり方の流れだろう。もちろん全く別ではないし、それは「セカイ系」とでも言えばやはり批判の対象になっているのだが。


そこでここではとりあえず、くどい語りという形式が物語の内容から要請されているというフォルマリズム的な説明を試みる。キョンの語りはエロゲ的掛け合いではない。そうではなくて、例えば古典的推理小説において、ホームズのような探偵の内面を明かすことは厳しく禁じられていて、代わりにワトソンのような助手が逐一解説(あるいはミスディレクション)するのと、同じ構造なのだ。ただし、ハルヒキョンの関係はどちらかというとドン・キホーテとサンチョの関係に近いと考える。

セカイ系的世界観について

キミとボクとでセカイの存亡うっわーエロゲ。


セカイ系の設定は確かにあるだろう。ここでセカイ系というのは例えば、『最終兵器彼女』も入る。つまり、「きみとぼく」のコミュニケーション=セカイが、そのまま世界のあり方を決定するという、短絡した設定の作品を指す。しかし、やはりセカイ系にもエロゲとラノベの違いがある。特に性行為によるセカイの融合(村上春樹の小説に出てくるセックスの解釈のようなもの)がない分、ラノベセカイ系は諦念に流れがちである。しかも、その上ハルヒの場合はコメディで描いているので、エロゲのセカイ系をまんま適用したということはない。むしろパロディと言うに相応しい。

設定と伏線について

伏線ターム置きほいだい。そして回収もしない。


例えばアニメ第一話の自主制作だとか、多くの伏線が貼られているが、対応表を書いた人がいるほど、原作やその後の展開に計画的にやっているようだ。もちろん終了するまで分からないが。それと、構成話数と放送話数という二つの呼び方をあえて次回予告で重複して言うように、時系列に関しては相当自覚的にやっているはずだ。「エヴァ以降のエロゲー」と一括りにしているが、例えばシリーズが進むほど自壊がひどくなり売上げが半減した『EVE』シリーズとは全く違う。

ツンデレ的展開について

エロゲオタは「エキセントリックな行動をする美少女にロックオンされて俺をグイグイ引っ張っていく」みたいな受身な妄想が大好き


エロゲは恋愛系と陵辱系に分かれるが、陵辱系で受身に行動することはあまりない。恋愛系でも妹のような従順なキャラの方が好かれているだろう。それでも、近年『つよきす』などで流行の兆しを見せているツンデレ型のキャラ造形と物語展開に近いというのはある。パッとしない主人公もそうだ。このタイプの最近のプロトタイプは(「セカイ系」「綾波」繫がりで言えば)シンジとアスカだろう。


しかし、ツンデレ=主人公受身なのだろうか。実際、「わがままな彼女に振り回される」という展開も多いのだが、ツンデレというのは別に女性が(恋愛・性愛)主導権を握っているわけではない。そうではなくて、コミュニケーションが幼稚(ロリ)であるため、うまく本当の思いが伝わらない、(両者共に)すれ違うというところに主眼があるのだ。受身で楽だからというのは少し違うと思う。

あとがき

コピペはいつも印象批評なのだが、それに対して本格的に過程を踏んで反論するのは、やってみると結構大変な作業である。ネタにマジレスとはいえ、丁寧に反論することでより細部が見えてくる。まだアニメも途中だし、個人的な見解に過ぎないけれども、先入観を振り払っておきたい。私としては、(アニメ版)ハルヒは「祭り型コンテンツ」だからブレイクしたと見ている。そして功罪はそこにあるので、もし私が批判するならそこを突くだろう。凡庸な批判で論点を曖昧にしたりはしない。

*1:ちなみにこの文章は「ハルヒ批判でもハルヒファン批判でもなく「自アン伝統芸能ハルヒネタに置き換えてナトリフレーバーをまぶした長文芸」らしいが、こちらだってハルヒ批判批判ではなく「ネタにマジレス芸」をしただけということも言える。それに思考の過程に意味があることは変わりない。