「新本格ライトノベル」への指摘に答えて

萌え理論Blog - 新本格ライトノベル
以前の記事にご指摘を頂いたので、答えておきます。

「ムーブメント」をめぐって

うさ道 - トラックバックへの返信

 最近たまに言葉を見かける「現代学園異能」ですが、私個人としてはそのようなムーブメントが起こっているという言説に対して非常に懐疑的です。はてなのキーワードを見てもほとんどが電撃の作品で、たまたまここ最近電撃から似たような作品が続けて出ているだけなのでは、という気がするのです。それだけなら「電撃の方針」のひと言で片付けられる話であり、それをライトノベル全体に敷衍させるには、より強固な根拠が必要でしょう。


直接ムーブメントとは言わなかったと思います。が、「たまたまここ最近電撃から似たような作品が続けて出ているだけ」だとしても、一応は売れている電撃なのだから、それをムーブメントと呼んでもさほど差し支えないでしょう。いや、単なる売上談義ではなくて、表現の本質に関わるような変化は何も伴っていないのだ、ということなのでしょう。


しかし、もちろんそれは「電撃の方針」に従ってはいるでしょうが、作家がただロボットのように、精密な設計図を指定されて機械的に書いているわけではないので、作家の意図も混入するでしょうし、そもそも読者が全く買わなければ続けて出すことができないので、一言で片付けられない話かもしれないではないですか。もし消費構造の変化と作品の内容が全く断絶していたら、それはそれでかえって不自然です。

 定義不可能であるはずのものについて、当たり前のように議論がなされる。これは非常に奇妙なことです。なぜそんなことが可能なのかといえば、議論する人々それぞれが自分の中で最大公約数的な「ライトノベル像」とでもいうべきものを作り上げ、それに対する議論をしているからです。私はその「ライトノベル像」がどういうものであるか、というのを、きちんと言語化されたものとして提示したいと思っているのです。
(「ライトノベル」を語る理由)


むしろ定義不可能だから議論が続くのだと思います。数学の証明のようなものなら、厳密な証明がなされてしまうと議論が続かないでしょう。

 その理由は単純で、ライトノベルというのは基本的に子どもが読んで楽しめるような作りをしているからです。平易な文体、シンプルなストーリー、キャラクター性を前面に押し出した登場人物、アニメ調のイラスト、文庫主体であることにより低価格に抑えられたパッケージ。これらの要素はいずれも、中高生くらいの子ども世代が手に取りやすい本作りに大きく関わってくるものです。そうした枠組みを基本においた「ライトノベル」という存在を表現するには、「こどものよみもの」という呼び方が適している、と私は判断しました。
ライトノベルは「こどものよみもの」である)


これも、最大公約数的な「こども像」とでもいうべきものを作り上げ、それに対する議論をしているのでしょう。例えば「こども」は小学生くらいまでという見方もあるし、実際の年齢より精神的年齢が重要という見方もあるでしょう。そして、これだってたまたまライトノベルが今までそうだっただけで、「各出版社の方針」と一言で片付けられるかもしれないでしょう。今後百年というようなスケールで見ればまた違ってくるかもしれない。


つまり、「こどものよみもの」と「現代学園異能」は、共にラノベの一つの側面を表しているという点で、絶対的な違いはないと思います。そもそもどちらも消費構造から見ているのだから。それに、はてなラノベを論じている人は中高生より上が多い印象(もちろん確認はできないが)ですし、ガーゴイルには戦闘もあるでしょう。


ただし、原理的には常に部分的にしか指摘できないこと(俯瞰した全体像を描けば今度は細部が失われる)を確認した上で、私の件の文章について言えば、確かにラフスケッチに過ぎません。「より強固な論拠」もまだありません。丁寧な論証では全くなくて、アイディアを簡素に組み立てたに過ぎません。


つまり、普遍的な事実を発見したということでは全然なくて仮説に過ぎません。新しいコンセプトを提唱したというところです。そうした限定的な記述に過ぎないことは認めます。文字数も少ないですし、最初に書いてあるように「過度の単純化」を経ております。

「(現代)学園異能」を巡って

平和の温故知新@はてな - 学園異能に対して誤解があるかも

まず、「学園異能という言葉は人によって捉え方が違うので、発言意図にも個人差があります」
その上で、当初言い始めた内の一人としては「ムーブメントが起こっているなんて言った覚えはありません」


承知しております。例えば「ライトノベル」も人によって捉え方が違うので、発言意図にも個人差があるでしょう。

よく似てるけど名前のわからないものに名前を付ける行為をした自覚はありますが、無理に広める気はまったくありません。使いやすかったら使ってください、ピンとこなければスルーしてください。そんなものだと思っています。


もちろん意図を誤解しているのであればなるべく改めますが、もしかすると、名付け親が意味を所有していて、広まっている内に意味が変化したりしてはいけないということを含意しているのでしょうか。使うかスルーするかの二択になるのでしょうか。

ちなみに、キーワードを整備する意思はあります。それは作った人の責任ですし。


はてなのキーワードは最初に作った人が以後の責任も負うというよりは、むしろ使う人が少しずつ修正をしていくような集合知的なものだと捉えていました。もちろん実際には、最初に作った人が手を入れないと止まってしまいがちなので、整備される意志には敬意を表します。

ジャンル分けというのは,文学における形而上的な問題なのではなく,市場における差異化ではないのか。
(博物士 - 老いたジャンル〈新本格〉から見えてくるもの)


もともとは記事のリンク先のこの記述に影響されて、市場でそこそこは流通してるだろうものを元に、簡素な見取り図を描いてみただけです。しかし、命名者が考えていた意味を変えて勝手に使ってはまずいのであれば、後で再定義するかもしれません。その場合、自分で命名するか、「新伝綺」のように他の命名者のものを使うかします。


特定のジャンルの命名が、ソースコードの配布のように改変を禁じる、ということも一つの流儀としてはあるかと思います。はてなキーワードがそのようなものなのであれば、郷に入りては郷に従えということでしょう。「最初に挙げたリンクの記述の意図とはかけ離れた」と書いたように、「現代学園異能」についてもやはり勝手に独自の意味で捉えていたので、それが誤解で誤用というのなら、前述のように対処致します。何だか本論より長くなってしまいました。


まあ、仮に私がある言葉を命名して、それが違った意図で使われたら、やはりそれは誤解だと言うだろうなとは思います。だから、ここまでの主張は図々しい面もありますが、純文学ではなくライトノベルだからライトに言葉を使たいと考えました。もちろん現状ではそれが単なるいい加減さとしか受け取られず、実際知識も足りないので、これから研鑽を積む必要があると思っています。


追記:kim-peace氏からトラックバックを頂きました。ありがとうございます。それで、「(現代)学園異能」を巡っては、それほど見解の相違はなかったことが分かりました。なので、これからも「(現代)学園異能」を使わせて頂きますが、よく知らずにむやみに振り回すことを自戒した上で、ささやかではあるけれど新しい視点を見つけていきたいと思います。