エロゲにとって現実とは何か

エロゲの深い闇

この世は深い、昼が考えたよりも深い!

sirouto2さんはこの問題についてどのようにお感じになるのでしょうか。


こちらこそ言葉足らずだったりして反省するところが多いと思っています。「場」とか大雑把に都合よく使っていますし。kagamiさんの仰るとおり、メタな理屈は退屈ですね。私も面白いゲームのプレイ中は没頭していて、ブログに書いているようなことを考えているわけではありません。


ただ、どうしても攻略情報を見ながら既読スキップで飛ばしたりするときがあって、そんなときはあれこれ考えるときがありますね。浮気云々はCG・回想モードを見ているときにふと思うことです。現実の事情を適用したいというわけでもないんですが、単純にどういう世界なのか気になるというか。


以下、エロゲというかいわゆる「紙芝居」形式のノベル型ゲームについて見ていきます。浮気以外にも色々触れながら考えていきます。エロゲの現実ってなんだろう、という話です。

ゲームの反復と選択について

私もキャラが幸福になると自然に嬉しいのですが、ただ何度もゲームを反復してやってると、どうしても振る方が多くなって、そこが気になるわけです。五人の攻略対象がいれば、他の四人を振るということを五回繰り返して、計二十回は振っています。それも、振って不幸になるヒロインもいるのでちょっと引っ掛かります。


プレイヤーの存在は主人公やヒロインとどういう関係なのか。ストイックに解釈すれば、プレイヤーの選択肢というのは、本のページをめくったりビデオを早送り・巻き戻しするのと同じように、あくまで媒体の操作の延長線上にあって、物語内の現実に介入していないという立場も取れます。


つまり、プレイヤーが「〜する」という選択肢を選ぶことで、主人公がそう決断し行動し、新しい現実が展開するのではなくて、あらかじめ色々な選択をした主人公の物語があって、プレイヤーが選べるのはどの物語を見るか、ということだと。これなら先の二十回振る問題は何回も巻き戻して再生しているだけなので問題になりません。

ゲームの現実について

よく「現実と虚構の区別が〜」などと言いますが、そもそも虚構の中でどれが事実かということも認識するのは難しいと思います。例えば五人の攻略キャラがいて、五人それぞれにEDがあるときに、どれが事実なのか。どれが事実となるのだろうかと。もちろんTrueEndというのがあるわけですが、では他はFalseEndなのか。それともTrueというのはただの価値付けなのか。


そこでkagamiさんのように多世界とか並列世界の解釈があると思うのですが、CG・回想モードを見ていると、シュレーディンガーの猫のような違和感を感じるときがあります。ヒロインが生きているシーンと死んでいるシーンが並べられているので。現実のアルバムは時系列ですが、もっとこう超越したものになっていますね。


だから、攻略ルートのどれが現実かということはなくて、どれもが(ゲーム内の)現実なのでしょう。ただ、どれもが現実だとすると、プレイヤーが選択肢を選ぶ行為は、現実に働きかけているのではなくて、先ほどのように表現媒体を操作しているのみになります。もちろんそれと、いまプレイヤーが操作したことで現実が生まれているかのような感覚は両立できます。

キャラの複数攻略について

「複数攻略は浮気じゃないの」という指摘は、「ゲームはリセットできるから死を描けない」というような指摘とどこか共通の発想かもしれません。私自身ナンセンスかな、とも思うのですが、ただ多くのエロゲをやってるとただ消費した感覚になるので。


キャラを順番に攻略したり、攻略情報を見て解いたりするのに、私は抵抗を覚えるんですね。でも最近のエロゲは長大化して時間が掛かるので仕方ない。こういうのもアナクロかなと思うんですけど。でもこういう体験をすると「ゲームはインタラクティブ」とか「プレイヤーが物語を作る」というのがお題目にも聞こえてきます。


ただ、これも先程からの、プレイヤーは物語やキャラに感情移入することはできるが、物語の現実は変えられない傍観者にすぎず、選択肢の操作は媒体の操作だという考え方からみれば、あくまで傍観者なので「浮気」にはならないでしょう。もう一つは、やはり配信型ゲームで浮気できないようにするとかですね。

エロゲというジャンルへの感想の変化

今まで言ったこと以外にも、「エロゲはいつも紙芝居形式でマンネリだな」とか、「なんでこんな変な選択肢があるんだろう」とか、「まあ予算がないから仕方ないんだろう」とか、そういう殺伐とした感想を昔は抱いていました。


でも、最近は「儚い」ということなのかなと、良い(?)方向で解釈してます。ちょっとした選択肢でバッドエンドに直行したりしてしまうんだけど、だからこそハッピーエンドというのが、どんなに絵に描いたような結末でも、輝くのかなと思ってます。


もっと幼い頃は、全能感のようなものがあって、ハッピーエンドはある意味陳腐だとも思っていたんですが、人生が思うように行かないことを実感するにつれて、どんなにありふれていても尊いのかなと思うようになりました。ちょっとぜんぜん違う角度になっちゃいますが、そういう意味では全部別の人生でいっしょにはできないんだ、というkagami氏の言っていることは正当ですね。一期一会です。

再び、浮気について

最後にもう一回エロゲプレイヤーの浮気問題について考えて結論を出しておきます。今までプレイヤーの側からの考察だったんですけど、ヒロイン側から見てみれば、好きなのはプレイヤーではなくて主人公なんですね。プレイヤーというのは主人公に憑依したゴーストとか別人格みたいな感じでしょうか。


それで、今まで言ってきたことを総合すれば、(主人公の浮気ではなくて)プレイヤーの浮気によってヒロインが不幸になることはありえないので、プレイヤーの浮気は赦されるだろうというのが現時点での見解ですね。よくわかんないんですけど、三次元から四次元を認識できないみたいな、そういうことでしょうか。