なぜ、やおいに相当するジャンルが男性にはないのか

「A×B」

もちろんショタ・百合・ふたなりというジャンルはある。しかし、女性のやおいほどの大きな割合ではないし、質においても違いがある。そのメルクマークは「A×B」というキャラの関係性の表記である。これを「B×A」にすると意味が変わってしまう。(だから「×」は四則演算の積ではない。「→」と記した方が分かりやすいかもしれない)このような表記は男性向けの同人誌では見かけないだけでなく、男女の非対称性の本質をなす。


萌えがデータベースからの順列組合せであるというような話は、このブログではさんざん既出だが、女性の方が男性より「順列」が効いて来るのである。男性向けのギャルゲエロゲはハーレムになりがちである。すなわち男主人公を中心にしてツリー構造をなす。攻略ヒロイン同士の関係が描かれることはあまりない。しかし、やおいの場合はこのキャラとこのキャラという限定が効いて来るのである。


例えば男性の百合やふたなりの同人誌で、「A×B」という方向性が重要になるとは思えない。本の前半が「A×B」で後半が「B×A」でも不満がない読者は多そうだ。こだわる読者はいるかもしれないが、少なくともカップリングを巡る抗争があるという腐女子の世界ほどではないだろう。

男女の享楽の形式の差異

この現象を一般化すると、男の欲望は階層型なのに対して、女の欲望は方向型というふうに分けられる。男は上下関係を気にするのに対して、女は「誰が誰に」というネットワークの経路に対する感受性がある。つまり、男は縦で女は横の情報処理をするというイメージだ。


もっと具体的に言うと、女の長話は経路のトレースが多いが、男はそれを面白いと思わない。(女「AちゃんがBちゃんに○○するとCちゃんが…」男「ふーん」)また、女が男の話をあっさり他人のネットワークに放流してしまうのを快く思わない。女が形成する集団はP2Pなのだ。だから休み時間に誰とトイレに行くか、昼飯を誰と食うか、いちいちクネクネして決めたりする。接続先のポートを探索しているのだ。


更に大きく出れば、男には真の意味での人間関係が存在しない。いつどんなときでも「俺ならこうする」かそれを理想化した「○○(社員・男・大人・人間…)ならこうすべし」という風に考えている。これは先の主人公による中心化と同じ構造である。

男性版のやおいは可能か

もういちどオタク文化に戻ろう。ふたなりはあるが、男役はできればいない方がいいがHシーンが見れないという発想に基づくこともある。*1誰がふたなりになるかとか誰と結ばれるかという要素は薄い。たいていヒロインを全員巻き込んで乱交して満足してしまうのである。


マリみてのような百合ものはある。しかしたいていの読者は、自分が「誰が好きか」にはこだわるが、「誰と誰が結ばれるか」さらには「誰が誰に対して好きなのか」という方向性には、それほどこだわらないのではないだろうか。端的な例を出すと、男の場合はヒロインがただ一人でいても、そういう一枚絵やフィギュアがあっても、もっと言えばヒロインが一人でオナニーしていても、それはそれで十分魅力になるだろう。それは「その」ヒロインが好きだからである。対して女性のやおいにおいては、そのような単体キャラの消費はあまり見られない。


この男女の非対称性が、セックスによるのかジェンダーによるのかはさておき、観察によってある程度は確かに見出される。しかし、この違いが解消不可能なのかどうかは分からない。今月はエロゲの主人公についてずっと考えてきたが、主人公が存在せずヒロイン同士でN対Nの結合ができれば、シナリオやシステムの幅はグッと広がるだろう。男性版やおい市場はできるだろうか? 今期アニメを見ていると、『ストロベリーパニック』はマリみてほどの感染力を持っているとは言い難く、どうやらまだ先のようだ。
*2

*1:男×ふたなりが多いのではないかという指摘を頂いた

*2:男女の非対称性のアイディアは斎藤環の論点に影響されている