民主主義の限界と自動的ヒーロー

投票のパラドクス

a b c
b c a
c a b


成員ABCの三人がいる社会を考えます。a・b・cという社会政策(りんごを安くするでも、公園を作るでもなんでもいい)に対する各人の選好が上図のような場合、どの政策になっても最初から誰かが独裁で決めるのと全く変わりありません。こういうじゃんけんみたいな関係にあるときは上手く一つに決められません。これは民主主義の限界を示すのでしょうか。それとも仕方ないことでしょうか。それとも、限界だけど仕方がないことでしょうか。もっと良い社会選択の方法はあるのでしょうか。

なんか難しそうな話

アローの不可能性定理その2


本文の方は難しくてよく分からないんですけど、コメント欄のやり取りが興味深いので、定理から離れてイメージだけで適当にこの問題を考えてみます。(独裁者)が何が問題かというと、こういうことでしょう。


K1 人間>犬
K2 人間>犬



Kn 人間>犬
Kn+1 犬>人間


もし、Kn+1が強権を持っている<独裁者>(=普通の意味での、多数決に対する、強権を持つ独裁者)だとすると、ひどい社会になります。しかし、証明の条件に従った(独裁者)がKn+1でも、同じように犬>人間が成立してしまう。つまり、(証明の条件に従うと)どういう風に決定ルールを決めても、誰か独裁者が決めるのと結果的には変わらないので、だから問題だということでしょう。完全に最適なルールというのはありえない。


これは直感的に証明の条件(IIAとかパレート最適とか)の方がうさんくさい感じがします。例えば(IIA)を認めるとどうなるか。過半数がaを一番bを二番に選び、残りがbを一番aを二番に選ぶとします。しかし例えばその後でaは残り勢力を皆殺しにする政策だと分かり
、残りグループにとっては、aは百億番目位の最悪の選好に下落します。でも条件より社会選好は変わらない。


しかし一方、例えばもし完全に多数決(あるいは人数で選択肢を重み付けする)にすれば、先の例のような犬>人間は防げますが、逆にKn+1をコロシアムで猛獣と戦わせることを、他の全員が望む場合(ポピュリズム)も防げません。文句なしの完璧なルールというのは難しいでしょう。

選挙とくじ引き

われわれは選挙によって意思決定しているように考えていますが、特定の条件の下では、結果は実は恣意的で、それを選挙が事後的に追認しているという風に転倒して見ることもできます。よく精神分析のトラウマが捏造だと批判されますが、実は民主主義だって同じような構造を抱えているのではないか。柄谷行人が「くじ引き」とか言い出すのも興味深いですね。


最初の図のような場合は例外的ではないかと思うかもしれませんが、一定以上の成員がいて、選択肢の数が多いと確率的にけっこう生じるようです。それで、なんとなく個人の価値観が多様化して、しかし社会全体から見れば均一化して、それに伴い(例えば政治的な)主体性が減退する現象と関係あるかもしれません。なんとなくですけど。例えばアンケート主義のジャンプの部数が落ちてきたみたいな。しかしメディアミックス全体の売上げは、黄金期のジャンプと変わらないという話も聞いたことがあります。選択肢の方も薄く広くして対応する戦略でしょうか。

ヒーローは自動的なんだよ

参加者1024人が十回戦う、勝ち抜きジャンケントーナメントがあるとしましょう。このとき二人組みのどちらかが勝つまでやるとします。すると優勝者は十連勝したことになります。この場合は奇跡とは誰も思いませんが、「トーナメント」という枠組みが意識されていない場合、構造的に必ず生み出される奇跡を信じてしまうことが多いようです。


例えば競馬やパチンコなどのギャンブルでも勝ちまくる人は必ずいるでしょうが、それは確率的ヒーローであって、彼らの必勝法によって勝ったわけではありません。そしてこれはデイトレの億万長者にも少なからず当てはまるでしょう。あとゲーム理論で働きアリの話があるんですが、これは別の機会にします。



物語・選択・確率

このブログは萌えがテーマなので、最後にノベルゲームの話をしましょう。ノベルゲームでは選択肢が出てきますね。これを十回繰り返すと先の構造と同じではないですか。つまり、「ヒーロー」とか「物語」を信じていない人でも、ゲームにおいては形式のレベルで、「物語」が構造的に生じてしまうわけです。内容のレベルでどんなに陳腐な展開でも。ゲーム独自の選択肢という要素が、ゲームにとっての現実・リアリティ(R)を生み出します。


消える主人公 −ビルドゥングスロマンの終わり−


本当に萌え系の作品は主人公の存在が希薄なんですけど、この選択肢を選んだからこうなった、他の選択肢もありえただろうな、という部分だけでRの感覚を支えているような気がします。だからもちろん攻略本やスキップ&総当りや無意味なブラフの選択肢があり、または違うルートでもちょっとした差分しかないことが分かり、このRへの信頼が薄れていくことはよくあります。


それに対してひぐらしが選択肢を設けず、シナリオが分岐する箇所を自分で推理する、すなわち選択肢を選択するというシステムにしたのは興味深いことです。「箱選び」ですね。これも別の機会にもっと深く考えます。


なんか全体的に支離滅裂ですが、言わんとしていることが伝わったでしょうか。「じゃあエロゲはリアリティがあるけど、ラノベにはないの?」という疑問が出てくるわけで、それに対して最後のひぐらしで、メビウスの輪みたいにグルッと一周してみたんですが、そうしたら逆に何でもかんでも選択肢は内在していることにもなりかねず、自壊してしまいます。そこら辺をどうしたらいいのか悩んでいるところです。


追記:アローの定理の解釈をかなり誤解していました。パッと見て思いついたことを書いたら恥を掻いたという例ですね。次から反射神経で書かないで、もっと自分で消化してから書きます。