成長=コミュニケーション論の広がり

展望

いつも突っ込みを先取りしようと前置きが長くなっちゃうんですが、この際もっと気軽に野放図にアイディアだけ書いて見たいと思います。いつも読んでくれている人に向けに、再説明を省いてどんどん進んじゃいます。今日はリンクなしです。


よく萌え系ばかりになって話が薄くなった、という話が多いんですけど、このブログでは説教的な構えを取りたくなくて、そのアンチテーゼとして成長=コミニュケーションという図式があるわけです。「正義」などの大きな物語への一体化が成長なのではなく、むしろ個々の小さな物語を理解する=コミュニケーションが新しい成長の概念だと。


その図式がFateひぐらしアンチヒーローに当てはまるという話をしたんですが、それは実は普通の(純愛系)エロゲ・ギャルゲの主人公にも当てはまると思うんですよ。つまりFateひぐらしという特殊な例から、もっと一般化しようと。パッとしない主人公という点では同じですから。パッとしないことによってコミュニケーション(交換価値)だけを強調するという「デザイン」なんです。


しかもこの成長概念は、ギャルゲのヒロインの側にも当てはまります。イケメン・金持ち・優等生という大きな価値(誰にも共通する位でいいです)に振り向きません。もちろん家が押し付けてくるお見合いも、断るのがギャルゲのジャスティスです。これは今なら当然のよに思えてしまいますが、でも昔なら「大きい家に嫁げて幸せ」という感覚はあるだろうし、それは嫁ぐ本人がそう思っていたかもしれない。つまり、ここでも成長概念が反転しています。


たぶん重厚長大から軽薄短小、高度成長からマイナス成長みたいな世間の動きとリンクしてますが、それはさておきエロゲギャルゲの話に戻ります。前回の記事では陵辱系は扱わなかったんですが、でも陵辱系でも金で体を売る女には堕とす価値がないでしょう。つまり陵辱系での成長は負のコミュニケーションなんです。


また昔なぜ純愛系エロゲの舞台は学園なのかという話がありました。それには諸説あって皆納得したようでしたが、あえて蒸し返せば、コミュニケーションの舞台に最適だから、という側面もあります。これは他の理由を排他的に否定するものではないですよ。上下関係がほとんどない学園は、その他の組織より(正の)コミュニケーションに向いている。ここで陵辱系は上下関係を利用しますけど、純愛系では障害になる(ロミオとジュリエット)という対称の関係がありますね。


圭一@ひぐらしは、空気読めないせいで、些細なコミュニケーションの失敗から、ぶち殺されそうになります。*1対してひぐらしのヒロインたちは、空気を読む能力が異様に高い。あとハルヒがいま勢いがありますが、彼女は空気読めなくても大丈夫みたいなのが、魅力なんでしょう。


これを更に一般化すると、ツンデレもコミュニケーションが主題なんですよ。以前はディレンマがどうこうとか言いましたが、要は好きなんだけど、上手く伝えられないのが問題なんだから、それはコミュニケーションでしょう。ツンデレというのはコミュニケーション界のロリなんです。


大風呂敷を更に広げるなら、普通のゲームでもMMOとかコミュニケーション型になってるし。サイトからブログへの移行もそうでしょう。そもそも「web2.0」「ロングテール」とか、多様なコミニュケーションに可能性を見出すことでしょう。これだけ情報が溢れる世界では、何かを知ってるとかそれに一体化しているよりも、むしろ「カオナシ」のようにその場その場で相手の言葉で考えられるかが貴重になってきます。


消える前の記事はもっと根拠を丁寧に展開してたんですけど、大雑把にこんなことを考えていました。後で論点の一つ一つを検証して洗練させたいと思います。とにかく私的には成長=コミュニケーションと置くと、話が見えてくるんですけど、どうでしょうか。*2

*1:深くは言いませんが、「ヤクザの因縁」に近い

*2:ちなみに成長=コミュニケーションの発想の元ネタは精神分析。自分を空にして相手の鏡像になるのが良い分析家