ショタ・百合・ふたなりの三つ巴(ISR分析)

おさらい

シナリオ演出のISR分類法

ISR分類 I→S S→R R→I
ジャンル ノスタルジー ミステリー スペクタクル
アイテム 形見 暗号 呪物
ヒロイン 約束の女 謎の女 誘惑の女


ISR分類とは、物語の諸要素を、
イメージ(I)・シンボル(S)・リアル(R)の、
三つの座標軸で分類する方法です。
今回はそれを同性愛の表現に応用します。
ISRはシンプルなので記号萌学に合っています。


男を描きたくないからふたなりを用いる、
という実務的なレベルでの要因に関して、
ここでは改めて説明しないことにします。
ここで述べるのは、幻想の力学についてです。

ISRに振り分ける

ISR分類 I→S S→R R→I
同性愛 ショタ 百合 ふたなり


ショタは、イメージ(のシンボル化)の世界です。
エロ系コンテンツの消費者は大半を男が占めるので、
ショタがノスタルジー(回顧・懐古)的になるのは、
必然でしょう。やおいでのショタの割合は意外と低いです。


百合は、シンボル(のリアル化)の世界です。
マリア様がみてる』のように様式的な表現になります。
ショタの純粋さが純粋なイメージを指向するのに対して、
こちらは純粋な人間関係(姉妹制度)が理想になります。


ふたなりは、リアル(のイメージ化)の世界です。
この「リアル」は、「(バーチャル)リアリティ」とか、
「シュールリアル」における存在感位に捉えてください。
現実は男か女かどちらかですが、それを超越します。

ショタ(I→S)

ショタにはリアルが欠けています。
上連雀三平のような、幼年マンガ的なイメージがよく合います。
現実的なしがらみのない、どこまでもつるつるしたイメージです。


ホモ・ゲイ系のショタもありますが、多くを占めてはいません。
ショタというのは、実は派生ではあれ、美少女なんです。
だから、美少女ゲームのショタと、801のショタは、別です。


さらにショタとふたなりとの違いを考えてみます。
乳房と性器が違うように、まず両者は男女の違いがあります。


しかしでは、ホルモンで胸が膨らんだり、性転換の操作で
差が縮まっていくと同じ地点に向かうでしょうか?
そうはならないと思います。なぜか。
見る側の視線が違うと思うんです。


ショタはノスタルジーなんで、
過去(幼少期)の自分を美化するような、
イメージの純粋化(シンボル化)の枠組みです。


ふたなりはスペクタクルなんで、
男と女の無意識の記憶が交差して、
イメージが複雑になる枠組みなんです。


ショタは結婚も妊娠もできないので、
やはりリアルが欠けていますが、
逆にその現実味のなさが魅力でもあります。


ショタキャラが、結婚したい、妊娠してしまう、
と発言する場面を喜んで読み書きするのは、
イメージを単純化して消費するところに
享楽(旨味)があるからです。


性転換の操作でそれらを実現してしまうと、
かえってその旨味がなくなってしまいます。
でもふたなりは、むしろその無茶な実現
(妊娠とか)に旨味があります。その違いです。

百合(S→R)

百合にはイメージが欠けています。
ケモショタはあっても、ケモ百合は全然見ないでしょう。
マリみての姉妹(スール)制度に見られるように、
人間関係(人工的な社会的関係なのでシンボル)が主題です。


人間関係が謎(ミステリ)になり、それが上手く構築できる、
特に男女のような不純異性交遊なしに、完全なものができる、
というところが旨味になっています。でもイメージが欠けて
いるので、「愛」「友情」とか抽象的な言葉が先行しがちです。


この人間関係をもっと具体的に言うと、中高生女子が
トイレに行ったり弁当を食ったりするときに、いちいち
誰とするかをクネクネして決めているようなことです。
女自体が男には謎ですが、この感覚も非常に分かりにくく、
百合が謎めいた雰囲気を持てることの原因になっています。


だからやおいと百合は単に性別を反転させたもの
ではなくて、非対称の別の形態になっています。
男から見た百合と、女から見た百合でも違いますが、
とりあえずは、百合が社交の世界であることを指摘しておきます。
ふたなりは逆にそういうシンボルの世界をぶち壊して、
肉体的な快楽だけが一人歩きするのを良しとしています。

ふたなり(R→I)

ふたなりにはシンボルが欠けています。
みさくらなんこつのような壊れた言葉遣いはその症候(症状)です。
また、ふたなりソングのような電波萌えソングがあります。
だから、単に百合にペニスがついた、という単純なものではないのです。


ふたなりはシンボルを欠いたままリアリティをイメージ化するのですが、
それは、以前に述べたネオエクスデスのような、ゲームのラスボスでの
過剰装飾の感覚と共通します。ふたなりも男女の性器を装飾しています。


何が現実なのかというのは非常に難しい問題ですが、差し当たって
身体は、言葉よりはリアルに近いところに位置づけられるでしょう。
そしてふたなりはしばしばそういう身体的快楽至上主義をとります。
ペニスをつけるという点では、身体改造系の「拡張」や増設と同じ。


もともとペニスは男性のシンボルですが、ふたなりにおいては
そういう象徴化機能は失われ、純粋な快楽装置になっています。
そして、それは百合が肉体に関係ない言葉の次元だけで関係性
を築こうとすることとは、全く異なります。即物的肉欲的です。

おわりに

ISR分析は、単体ではそれほど目新しい発見はないでしょうが、
様々な現象を三つに分類できる体系性がポイントになっています。
また別の機会に別のものをISRに分類しますので、お楽しみに。