はあちゅうの耐えられない軽さ

はあ厨

小娘が何か言ってます。 元記事


言及自体がブームを作ってしまうので、もう言及しないようにしたいのですが、
はあちゅう現象を意外とマジに受け取る人が多いので決定版を述べておきます。
はあちゅう問題の核心は、右左の対立とかニート問題とか、それらではなくて、
単にはあちゅうが厨だから「こやつめワハハ」と反応して終わりにしたかった。


最初見たときは『ケンペーくん』とか鳥肌実みたいなネタなのかと思いました。
ただはあちゅう氏自体を差し置いて、みなが自分の問題を語ることで広まった。
そこで読めば感覚的に分かると思うけど、ダメなところを明示的に指摘します。
はあちゅう氏個人を罵倒したいのではなくて、はあちゅう的な問題点を考える。

矛盾点のおさらい

なぜはあちゅう主義が大成しないのか
前回指摘したことを、簡単におさらいしてみます。

  • 強制的なボランティア。向こうが迷惑なボランティア。

みんなダシでしかないことが分かります。

  • 非国民と呼ぶ方が人間力が落ちている。

これは後でもう少し詳しくやります。

  • 理由の結びつき方が不明。

これもやります。

  • 家事手伝いはたぶん非国民に含めなさそう。

数え方によってニートに入るんですけどね。(参考

  • 国力上昇のために子供を産まない女性は非国民だとは言わなそう。

ニートは意志(人間力)の問題で、少子化は子育ての環境の問題。

  • 自分も非国民と呼ばれる可能性を想定していない。
  • 結局、金持ちやマスコミになって大衆を指導する側の正義。

愛国心と経済問題を一緒くたに語る弊害

そもそも、はあちゅう氏の議論の構造はどうなっているのか。
愛国心がない→働かない→ニート(非国民)化→国力低下→日本滅亡(植民地化)
だから教育改革が必要だと。大雑把には、こんな感じですね。
しかし、それは愛国心の問題か〜? という気がします。


ここで注意すると、愛国心の是非ではなくて、はあちゅう氏の論の是非です。
はあちゅう氏を支持する人は、この議論の流れに納得してるんでしょうか。
そうではなく、各キーワードに反応してる気がしますね。


景気が良かった頃には愛国心があったわけでも、
愛国心がなくなったから、景気が悪くなったわけでもないでしょう。
具体的にはバブル崩壊の後の対応が悪かったからでしょう。
また、愛国心の低下というより、政府に愛想が尽きたのでは。


それに例えば国の借金(非国力)はニートより官僚の天下りとかが大きいのでは。
二万人の天下りに年間五兆円投入されているというニュースがありましたが、
まさか(自分がこれから回るかもしれない)体制側だけは、
非国民と叩かないのではないでしょうね…。


インタビュー&コラム 人事研究室 『日本の人事部』
それに、(働く意欲の無い)ニートは実は増えていないという話があります。
またニートと一緒くたにしていますが、働く意欲があるが職に就けない
ニートも非国民なんでしょうか? すると、リストラされた人たちも
やはり非国民なんでしょうか? そこら辺、あの論は続編がないと足りない。
要するにニート像はマスコミが作り上げたのですが、それをどう捉えるか。


自殺者三万人などと言いますが、どうみても経済的理由が含まれています。
実際に、非国民などと言われる前に、すでに闇に葬り去られているわけです。
そういう「痛み」を感じることがなく、曖昧な「国力」上昇を強調しているから、
何度読み直してもあの文章によって、私が心を動かされることはないわけです。


私的には、ホットに愛国心を語るか、クールに経済問題を語るか、
どっちかにしてくれないかな、と思っています。というのは、
経済問題を愛国心に還元するのは非常に危険だからです。
だって、市場競争の再分配機能として政府があるのに、
競争の敗者=非国民! ではあまりにもひどい。


愛国心とは、単なる経済システム以上のものとして国を見ることでしょう。
そうしたら、ニート=非生産的な国民だって、面倒みてやれよと思います。
できの悪い子かもしれないけど、それだけのことで安易に勘当するなよと。
一方日本がどんな貧乏な国になっても誇りを持てばいいんじゃないですか。
そしてそれとは別に、手術をする医者のように、冷静に経済問題を扱えと。


でもはあちゅう的には、愛国心と国力と自分が金持ちになることとが全部、
ごちゃ混ぜになってるから、躍起になって主張しないといられないのでは。
いや自分一人で思ってるならいいんですけど、それで改革を主張されても。
自分にリスクとか痛みとかなくて「人間力」とか言われましてもですね…。

はあちゅう的ジャーナリズム

好意的に見ると、ポンと出したエントリなので、
「非国民」とかよく分からないで使っちゃった、
ということはあるかもしれない。中高生位なら、
いいんですけど、経歴を見るとやはり軽率です。


だめんず的に「ニートのイケてなさ」を叩く位なら、
それは個人レベルのことなので構わないですが、
大袈裟に言えば、あのエントリはマクロレベルでの
政策提言なわけですね。他の人にリスクを強いるので、
やはりそれなりのものが求められるわけです。


しかもこれも大きく見れば矛盾点の一つです。
どういうことか。はあちゅう氏は最後に
マスコミにでもなるかと書いていますが、
マスコミに向いてない気がします。なぜか。


ニートをよく知らないで非国民と言っていたわけですよね。
ソースは友達とかです。ちょっとググればニートに家事テツが
含まれていることも分かりそうなものですが。しかしですね、
先入観で語るマスコミは非常に困るわけです。


ニートって非国民だよね! と友達に言われてそうだそうだ!
っていうのは、全然理想のジャーナリズムじゃない、悪しきそれだと思うわけです。
しかもそれが対象を変えて「○○は非国民だよね!」とならないとも限らない。
いまどき記者魂は流行らないかもしれないが、真相を究明する意志が欲しい。


しかも、それは冒頭の殺人禁止の問いに跳ね返ってくるわけです。
戦時中は軍部の提灯記事を書いて嘘八百を並べていたわけですが…。
もっと最近のことを言えば、阪神大震災で報道ヘリが救助の邪魔だ、
具体的には、瓦礫の下の声や瓦礫自体を風圧で押しつぶしてしまう、
そういう例があるわけです。あるいは、最近の報道の捜査機関化。


誰々が犯人だとか推理して決めつけたくて仕方がない様子だし、
量刑に対して不服を述べたり、まるで司法機関のひとつです。
また、被害者を実名報道したくて仕方ないようです。加害者ではなく。
無責任な人が増えるから被害者も実名報道させろという話らしいです。

はあちゅうの耐えられない軽さ

もちろん私はマスコミ叩きがしたい訳ではないんです。
反射神経的な○○叩きをしたい訳ではないんです。
そうではなくて、現場に出れば自分が非難の例外では
なくなってしまうという葛藤や緊張感が欲しいわけです。
それがない。立場や主義主張の違いではなく、端的に、軽い
自分が非国民だとか虐殺者などの悪に回ってしまう可能性を考えない。


自分が記者をやめさせられたり、もっと極端な例では
牢屋にぶちこまれたりしてしまう局面があって、
それでも真実を追ったり、真の意味での愛国心を求めたり
する覚悟があれば、学生だろうが小娘だろうが誰だろうが、
真剣に主張を受け止めるつもりですが、多分そうではない。


今回の主張だって、もしブログじゃなくて何か記事だったら
「非国民はまずいから削除してくれ」「え〜わかりました」
って言って終わりそうな感じです。というかその程度だろw


自分のサクセスは確保した上で、よく分からないけど
先入観のまま叩いて、それを「人間力」のような言葉で
オブラートで包んだ、いかにも安い文章では、感心しません。
「ゲラッゲラッ笑った」といって終わりでいい、と思います。
もちろんこの文章も合わせて笑ってもらってもいいですけど。


http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040313
先入観を増幅させるだけではない
ジャーナリズムも一つ挙げておきましょう。
(ただし、追記部分の町山の理屈には私は納得しません。
まず、広場の内と外で生命の価値が変わるわけではないし、
学生のリーダーが悪いといって、全てが収まるわけでもない。)

今そこにある危機

しかし、はあちゅう主義の人は潜在的に多そうだ、という危惧を抱きます。
そこでまた未来予測をしてみます。報道関係にはあちゅう主義の人が大勢。
今の見世物化したテレビ、バラエティー化したニュースがこのまま進むと、
これもネタでなく案外そう遠くない未来には実現しそうで恐ろしいですね。


「お天気のあとは人間力テストのコーナーです」


「今○○署から容疑者が出てきました」
「出た! 容疑者! 容疑者出たよ〜。これ死刑! 死刑!」


「パシャッパシャッ」
「やめてくれ〜写さないでくれ〜」
「今日の非国民はこいつです! 許せませんね」


どうみてもジャーナリズムは御仕舞いです。ありがとうございました。