現代的迷惑の処理方法としての環境管理

長文読者は長居客

タチが悪い長文コメント常連
はてブで同意が多いのはブログの書き手が読んでいるからだろうが、
これはつまるところ、ブログ運営側=商売の論理からすれば、
茶店で長居する客とか、本屋で長く立ち読みする客とか、
コミケでスペース前で長々とトリビアを語るオタだとか、
そういう迷惑客と同じ構造をしているということだ。


理想的な読者=客とは、通信販売の体験談のように、
「このブログを読んだらすぐ椎間板ヘルニアが〜」
という広告的なコメントに他ならないだろう。
そして、(業者を除く)トラックバックスパムが迷惑だとかいうのも、
日本が後から帝国植民地主義に乗っかろうとしたら袋叩きにあったみたいな、
蜘蛛の糸にすがってくる弱小ブログを蹴落とそうとする試みなのかもしれない。

トラックバック囚人のジレンマ

トラックバックっておいしいの?
上記での話も同じような話だと思うのだけれど、
それで結局こういう迷惑問題の上手い解決の仕方は、
トラバ先のリンクがなければ受け付けない相互言及式(はてなダイアリ式)だとか、
コメント欄に字数制限をして、そもそも書けないようにする(はてブ式)だとか、
立ち食いそば的なアーキテクチャのレベルでの解決になるだろう。


この構造はネットの話だけではなくて、アパートの大家が
「ジジイやババアに貸したくない、孤独死されたら迷惑だ」
とか、公園のベンチに仕切りをつけてホームレスを寝かさない*1だとか、
マクドナルドがカタいイス*2で、
客が知らないうちに長居客を統計的に減らそうだとか、
そういう主体ではなく環境のレベルでの管理の話だと思う。


なぜそういう環境管理が現代で台頭してくるかといえば、
競争資本主義「だけ」では環境問題が解決できないように、
要するに個人主義化とそれに伴う囚人のジレンマである。