製造ブログの非モテ論

アクセス数が増えるのは、ニュースサイトに動員力があるからで、
記事が面白いかどうかは、直接は関係ない。このブログもそうだ。
意識が判断する以前の段階における無意識的な分類が重要になる。
つまり、アクセスを稼ぐサイトは習慣的に見られるサイトである。
あるいは他者が「知っているということを知っている」サイトか。


この流通サイトの前での製造サイトの絶望は、
非モテのモテに対するそれと同じではないか。
つまりは、「いい人そうなんだけど、…」と、
「面白そうな記事なんだけど、…」という事。


意識と無意識、市場とアーキテクチャ、努力と運(具体的には容姿とか)、
これらの要素は、どれかではなくどれもが
要素になっているのに、説教的な構えでは必ず最後の部分だけが
取り上げられる。それはある種プラグマティックでもあるから仕方ないが、
製造=非モテが苛立つのは、「他の要素もある」と述べることと
「努力したくない」ということをいつも混同されてしまうところにある。


様々な要素があるが、個人で可変できる要素は努力しかないので、
その部分をどうにかるせよ、というのは正論だが、その部分のニュアンス。
…雑然と書きすぎたので、今日はもう打ち止めにしたい。