連載:アニメから見る(2)

萌え作品は中身のない表面であり、いわば欲望が投射されるスクリーンである。
秋葉原に集うオタクたちの視線は、ふつうに見たのではハンコ絵とお約束の話
にしか見えないところに、欲望の対象の魅惑的な輪郭を見てとることができた。
欲望に支えられ、貫かれ、歪められた視線で見たときにはじめて、萌えるのだ。


<萌え>とは、ある意味で、欲望によって仮定された対象である。欲望は
それ自身の原因を遡及的に仮定する、というのが欲望のパラドックスである。
つまり、萌えとは、欲望に歪められた視線によってしか見えない対象であり、
客観的視線にとっては存在しない対象なのである。言い換えれば、萌えは、
その定義からして、つねに歪んで知覚されるものであり、その本質である
この歪曲を抜きにしては存在しないのである。なぜなら萌えとは、まさに
その歪曲の、つまり、欲望によっていわゆる客観的現実の中へと導入された
可能性の具現化・物質化以上の何物でもない。萌えは客観的には無である。


斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ