萌えと文字

要約

三次元ポルノと二次元ポルノの違い

「萌え」は他者に自分がキャラクターに対して抱いている感情を伝えたい時に生まれた単語であるといえる。


三次元ポルノは恋愛フィクションをフィクションとして楽しむためにはノイズとなる要素が多いというこzとだ。

どちらもまあ無難な主張だろう。
特にアニメ・ゲームの実写化の違和感は昔から言われ続けてきた。

変形生成批評

で、萌えはコミュニケーション用の言葉であるという記述と、
二次元は(恋愛)フィクションに向いているという記述の、
(画家とハッカーのように)潜在的な関係を見てみよう。


二つをリミックスすれば、「二次元化はコミュニケーションに向いている」と、
「萌えはフィクション用の言葉である」という新命題を生成することができる。
以下ではこの新命題について検討することで、萌え論の新たな展開を試みよう。


前者から検討しよう。「IT」という言葉の前の世代の言葉に「マルチメディア」がある。
次世代ではPCとネットで動画や音声などが流通するだろうというかつての世界観である。
しかし、実際に人が集まった2ちゃんねるやSNSは文字主体のコミニュケーションだ。


特にAAはコミュニケーション性に優れている画像のフォーマットだ。(txt画像)
すぐにコピペでき、しかも改変できる。それに画像に比べて容量が少なくて済む。
(画像もあぷろだのアドレスをコピペできるが、すぐに落ちるし改変は一手間掛かる)


後者はどうか。大体はフィクションに使われるが、実在の人物にも使われないか。
しかしここで、フィクションに萌えという言葉が使われるのではなくて、むしろ
萌えという言葉を使うことにより対象をフィクション化する側面はないだろうか。


例えば「うちの妹が〜」という記述に対して「○○の妹萌え」とできる。このとき、
「現実の妹は萌えない」と言うが、そうではなく、フィクションの妹に萌えている。
記述から構成された脳内妹に萌えているのであって、現実の妹とは別の存在である。

エクリチュール

「二次元化とは文字化である」「萌えの対象は文字的なものである」と言える。
ここで「文字」とは、論理的な構造と、視覚的な表現の二層を持つものを指す。
そしてこれはHTMLの構造でもある。そしてハッカーと画家の眼の話に通じよう。


漢字は、言葉をへんやつくりで構造化し視覚化したものだが、
萌え絵は、猫耳やメイド服などで構造化された絵ではないか。
萌え絵は、漢字の成り立ちのようなデフォルメ・デザイン化ではないか。
(金八の「人」の話が分かりやすいが、白川静の漢字論だとか)


漢字がその外形から意味をある程度は類推できるように、
キャラクターデザインされた萌え絵は、姿から性格が分かる。
ツンデレツンデレらしい外見をしているとか)


そしてこの記号の明示的な性格がコミュニケーションに向くのである。
元々の記事とは全然違う所まで来たが、ここで主張したいことを整理
しよう。萌えと対象の文字化・デザイン化は対であり、しかも単純化
することで、その組合せによるコミュニケーション空間が開けるのだ。