ハッカーと画家

決めつけ感

プログラマが絵描きに相手にされない理由
「なぜネギまは大成しないか」と同じ決めつけ感を感じる。
プログラマが絵描きに相手にされない」という前提の根拠が分からない。


絵描きはプログラマを相手にしないか
Lounge Programmers Killer - 絵師とプログラマ。
しかしその疑問は上のエントリで既出なので、ここでは違う話を付加してみよう。
先入観に基づく偏見よりも、異分野の技術で、何が共通し何が固有なのか考える。

デッサンとデバッグ

大胆に定式化してしまえば、美術的なデッサンにおいては、
鉛筆で描くよりも消しゴムで消す方が本質的なのである。
何時間も描き込んだものを躊躇せず消せない者は上達しない。
そしてまた、プロのプログラミングはデバッグの方に作業の
実質があるだろう。書くこととは推敲であるということだ。
誤差の修正は、本来の作業に付属したオマケではなくむしろ本体だ。
(もちろん上級者は修正が少なくて済むだろうが、
 そこに至るまでに膨大な修正の経験と、次で言う構造化の技法が必要だ)

解剖学と構造化

優れた絵師は筋肉の構造を学ぶことでリアルな人体を描ける。
『やさしい美術解剖図』は寺田克也も読んでいるという。
骨格と筋肉を知っていると、ハンコ絵ではなく色々なアングルから描ける。
そしてまた、プログラマオブジェクト指向を学ぶ。
OOPを知っていると、様々に再利用できるコードを書ける。

感性と論理

だが、両者の領域のすべてが対応するわけではない。
ふつう絵師は一人で描くが、プログラマは共同作業を行う。
(ちなみにアニメータは共同作業で、PGの労働環境と似ているのは興味深い)
マンガであるコマだけ下手だったり、話に多少矛盾があっても読めるが、
文法が間違っているソースの記述が一行でもあれば、プログラムは動かない。
ただそれでも、優れた絵には論理のようなものを感じるし、
優れたPGには独特の感性を感じるものだ。
(webデザインは両方を兼ねた領域であるのも興味深い。
 また音楽には「コード進行」があり、これも記号的)


追記:はてブを見ると絵は個性がある、というのが根拠なのかな、とも思うが、
ネットの絵師の大多数はハンコ絵でパッと見て区別がつかないような気もする。
もちろん1/0のPGと違って、個性が発揮しやすいというのは確かだけれど、
プログラムもアプリケーションという形を取れば、機能で十分個性を示せるし。

参考

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち