ディベートについて

http://d.hatena.ne.jp/REV/20060128#p12
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1128937220/126-156


先にラフに言ってしまえば、エッセイだから論理の道筋はどうでもいいとか、
論文だから修辞的な面は全く必要ないということはなくて、ディベートでも
議論や説得の技術があるだろう。もちろんディベートは一つの方法であって、
ブレインストーミングなど様々な方法がある訳だが、目的はどこにあるかと
言えば、このブログの文脈では、「可能性を顕在化する」ことにあるのだ。
引用部分に対して逆に言えば、ゲーム理論では見落としてしまう事もある。
モデル適用に際して、人間は常に合理的プレイヤーであるとは限らないし、
更に共同知識と相互確認のパラドクスなど、問題点を抱えている所もある。
もちろん、対して相互作用認識論が出てくるが、説明は別の機会にしよう。
とにかく、様々な角度から可能性を照らし出す必要があって、ディベート
その一つであるということ。空しさはどんなジャンルにも潜んでいるだろう。


蛇足だが、

156 :考える名無しさん :2005/11/06(日) 17:38:18
初期ドラえもんは、のび太がとんでもない不幸に見舞われるというので、
未来の世界から助けに来たドラえもんの英雄ぶりと間抜けぶりを
描いていたんだが、
次第に、のび太の駄目さ加減が芸風として高められ、ドラえもん
が圧倒され、巻き込まれてしまうほどののび太の駄目パワーを
描く恐怖漫画へと移行したように思う。ヒーローの足を引っ張るだけの
存在だったのび太が、不気味な失敗のブラックホール的存在感を
強めて行き、終いにはドラえもんの存在を飲み込み食い破るほどの
凶暴性が垣間見られたような気がする。身震いする不気味な漫画だった。
今思い出してたら寒気がしてきた。

ワロス。そんな大げさな。哲板らしい感受性である。