キャラクターのバラ売り論

エロゲギャルゲでキャラクターごとのバラ売りを提案した。
これは主にユーザの視点とメーカの視点から述べたものだ。
今回はクリエイターの視点からいかがなものか考えてみる。


「エロゲ=消耗品」化に繋がるという批判はある。しかし作品を分解したからといって、
それが必ずしも消耗品化に結びつくとは限らないのだ。どういうことか。
エロゲをプレイするのは成人というお約束なので、社会人が多いだろう。
するとニートでなければ時間がない。更に最近のテキストのボリューム
が多くなった事を受けて、デフォルトでボイススキップで読み飛ばす。
それこそ消耗品化ではないか。高いから「もったいない」といって、
作業的にコンプリートするよりも、一人のキャラクターに絞るのもアリだ。
もちろん、総プレイ時間は変わらず、事態は変わらないことも想定できるし、
単に全てのキャラクターを選んで実質的には変わらないこともありえるが。


作業的コンプリートは萌え力を奪う。なぜなら萌えは可能好きだからだ。
プレイヤーの妄想を書き込める余白がある限りで燃え/萌えが持続する。
もちろんコンプリートしても物語の外部、可能な物語は広がっているが。
確かにバラ売りがキャラクターの使い捨てに繋がる側面も十分にあるが、
逆に言えば、無理やり12人を抱き合わせる状態も不自然だとも言える。
ただし、キャラクターをバラにしてしまうと、プレイヤー側がネット等
でコミュニケーションが取りにくい。これは大きな問題かもしれない。


ただそれでも、エロゲを買う時点で、誰を選ぶかがゲームになるというのは、
持論のメタゲーム論に繋がる。どの同人誌を買うかに、自由度が存在するのと
同じだ。もちろんただし、買い専と呼ばれて、消費に創造性を見出したりは
普通しないのだが、最近では本当に単なる消費化してしまっている。つまり、
即売会で探さずに、同人誌専門店での平積みを買ったりnyで落とすとか。
少し脱線したが、要するにプレイヤーの選択する機会をテキストスキップよりも、
どのキャラクターを攻略するかで発揮させてほしいというのが趣旨である。
オマケをつけてデカイ箱(くじらとか)にするよりも、出会い自体を
選ぶ方が付加価値というか思い入れが深まる気がする。どうだろうか。