限定状況・デザイン・クラスター

次のテーマはモジュール化とその広域利用

以前にも触れたけれど、ファウスト福嶋の限定状況としての家族論は、
限定ジャンケンや後期冨樫からツンデレまで大きな流れの一部なのだ。
しかも記号として捉えられる範囲で限定された絵=デザインとすれば、
萌え絵はデザイン化だから323絵もそうだし、KOTOKOも含む。
その上nyのクラスタリングからSNS(はてな!)もまた同じこと。
(『バトルロワイヤル』や『リアル鬼ごっこ』なんてのもそう。)


ゲームはPSの3D化で大きく流れが変わり、また大容量化で音声が
使えるようになって変わり(渡辺浩二とかが予測した文章を書いてた)、
後者がギャルゲで、前者がバイオハザードとかなんだけど、まず前者。
バイオは項を改めて詳しくやりたいけれども、ここでの文脈で言えば、
デザインされたゲームだと言える。それが他の3Dゲームと違ってた。


当時の3Dは視認性や操作性が悪かった。バイオの操作系自体まだ
受けつけない人が多いけれど、揺れない視界が当時では斬新だった。
(もちろん本当は『アローン・イン・ザ・ダーク』が元ネタで、
 昔テレ東のテレビチャンピオンのクイズで、バイオの元ネタは
 『スウィート・ホーム』だとか言ってて失笑した。それはともかく、
 海外ゲームをアイデアはそのままで加工したという点で功績はある。
 他でも、ウルティマドラクエでは遊びやすさが全く違うだろう。)


カメラを固定し擬似2D化する。レイストームやFF7もその系統だが、
要は「システムとは複雑性の縮減である」を地で行ったところが重要だ。
限定化はデザイン化で、またシステム化であり、更にはゲーム化である。
普通の2DACTがXZ平面なのに対して、バイオはXY平面を動かす。
複雑性としては同じだ。また、自動照準によって複雑性を落としている。
(では『ディノ・クライシス』『デビル・メイ・クライ』とかカメラが
 動くのは退行なのか、という疑問が出るが、それはPS2期で別の話)


バイオは「サバイバルホラー」というコンセプトだが、これは斬新だった。
2D時代のカプコンは、スト2・ヴァンパイアなどゲームが複雑なのだ。
「ターボ」で加速するのが象徴的だが、それは大量弾幕主義のSTGと同じで、
バイオやレイストームは、時代の変わり目にふさわしい作品だと思っている。


それで、「サバイバル」とは極限状況であり、限定状況だからやはりデザインだ。
「弾が少ないからつまんないとは限らないんじゃね」という逆転の発想が新しい。
弾数を無限から有限にして戦略性が出た。ナイフクリアのスーパープレイもある。
(ラジオ&懐中電灯の『サイレント・ヒル』は、更に視界を限定している。
 やはり『デメクラ』は弾数制限なしで撃てるが、ハード環境なども絡む。)


そしてようやく美少女ゲームの話にターンが回ってきたわけだが、
場所移動やクリック式のADVから紙芝居ノベルへの移行と整理しよう。
それもまた複雑性の縮減化だ。なぜなら、例えば同級生2の可能な
選択肢は紙芝居ノベルのそれより多いだろう。総当りは不可能で、
攻略本なしでのコンプリートは難しい。しかも場所移動やクリック式は、
スキップに向いていない。だから負荷が大きく廃れていったのだろう。
(ただし、攻略キャラがいるというマーキングで場所移動は生き残り、
 また『サクラ大戦』では、ADVパートを区切り、複雑性を縮減する。
 『つよきす』でも少しだけ場所移動パートはあるが、マーキング有り。)


ひぐらし』に至っては、もはや紙芝居の臨界点ではないかとも思えるだろう。
いくら制約が工夫の母だとしても、選択肢がなければゲームたりえないのでは。
だが違う。ノベルゲームのスキップもひぐらしのTIPSも選択肢の内なのだ。
あるいは、膨大な関連商品や同人の中からプレイを選ぶのも(メタ)ゲームだ。
そしてそれは、コミュニケーションのメタゲームを楽しむMMORPGと同じ。
ゲーム内のデザイン化とゲーム外でのメタ化を、同時に捉えなければならない。


モジュール・ライブラリ化(キャラ化)で、再利用(二次創作)できる。
そしてその有効な利用のためには読者に作家性がなければならない。
読者はメタ作家だ。ゲームをプレイするかどうかもゲームなのである。
しかし読者が神になるかといえば、それもまた違う。それが相互性だ。


株式市場はケインズの言う美人投票で、他人の動きに合わせて動き、
しかし完全な同調から極微の差異を出すよって儲けることができる。
値崩れする前に売るのが勝ち組で、後に売るのが負け組ということ。
これは宮崎駿の「カオナシ」や「想像界の鏡像的関係」と同じこと。
そしてもちろん323絵にトレスぎりぎりまで似せるのも同じこと。


まだ次のテーマの草稿というか、ごった煮の様相を呈しているが、
文体・記述の揺れ、ブログのデザインも含めてまだ実験段階なのだ。
限定状況という認識から出発して、読者の作家性が出てくる道筋を
辿った。先のツンディレのように、また一つ取り上げ先鋭化しよう。