ツンディレ論2〜可能世界の中心で愛を叫ぶ少女〜

ヒロインデレ ヒロインツン
主人公デレ
主人公ツン

前回の図式を整理しつつ、より詳細を見ていこう。


主人公・ヒロインの「ツン」「デレ」の行動選択を上図の行列で表す。
双方ともツンツン状況Dよりデレデレ状況Aが、本当なら良いはずだ。
だが片方が裏切るとCは主人公に・Bはヒロインに大変不都合である。
従ってDで均衡する。前回のツンデレのディレンマ(ツンディレ)だ。


囚人のジレンマ」がゲーム理論で一番有名だろうから用いたのだが、
元々は四つ組みで、「デッドロック」でも、説明できるかもしれない。
互いに相手のデレを待って硬直するのは、高橋留美子作品でよく見る。
が、どちらかといえば「ファーストキス」のような不可塑状況で使う。


表裏型ツンデレの「ツン・デレ」をD(→A)と表記しよう。
事実としてはツンだが、Aを指向している(のがバレバレ)。
先後型ツンデレの「ツン→デレ」は単なるDまたはCだろう。
正確には「D→AorC→A」で、主人公側選択が影響しない。


ベタベタロリ妹型は、AまたはBで「ツン」がなくツンデレではない。
たまにスネることはあるだろうが、ツンディレまでは構成されないだろう。
誘惑淫乱年上教師型は、Bを不利益に思わず(「あ〜ら可愛いわねえ」)、
やはりディレンマが構成されないので、ツンディレには向かないだろう。


主人公側も注目しよう。強迫陵辱型では、相手に選択の余地がないので、
ツンディレは構成されない。強気女を落とすのとは異なる。Sではない。
これまでSとツンデレの境界が不明だったが、主人公側の行動選択まで
含めれば、主人公も反発するのがツンデレだと明確に分類できるだろう。


ツンディレは「眼鏡」や「委員長」と異なり、関係なので個人ごとに違う。
アスカはシンジに対してツンディレ関係だが、加持に対しては発動しない。
逆にミサトはシンジに対して保護者関係だが、加持に対してツンディレだ。
画太郎のクソババアでさえ相手がジジイならばツンデレがありうるのだ。


D(→A)の「→A」が実現しない条件でさらに分類できる。
・素直になれないタイプ・悪友タイプ・規律重視堅物タイプは
「D(→A)」だが、非素直型は、Bへの抵抗が高い。
悪友型は、Dの利得が高まっていてリスクを犯せない。
(「ずっとこのままの関係が落ち着くよね」)
堅物型は定義上(少なくとも人前で)「()」を外せない。


ちなみに主人公嫌悪タイプ・孤立孤高タイプ
・高飛車女王気質タイプは「D→AorC→A」。
ただし一時的「D(→A)」化はたびたび生じる。
嫌悪型はAを指向しない。孤立型はDに慣れている。
高飛車型はBへの抵抗が非常に高い。
*1


ここで、非素直型より更にBへの抵抗が高い高飛車型が、
なぜAを実現できるのか、という疑問が出てくるだろう。
伝統的エロゲの一つの解として「チキンゲーム」がある。
ここら辺は少し複雑なので、以下じっくり読んで欲しい。


まずAの利得が低いと設定する。それならDに留まることは合理的だが、
次にDに留まるのはチキンだと煽る。本当にチキンゲームならば両方が
躊躇してAは成り立たないはずだが、偽チキンなので失敗した形でAが
成立する。つまりAとDの利得を反転するという仮構を用いるのである。


どういうことか。高飛車型は極端に負けず嫌いなので、
通常ならBへの抵抗が非常に高く、Aは決して実現しないはずだ。
だが「負け」回避感情を利用して、「本当は経験するのが怖いんだろう」
などとD状態がチキンだと設定すると、ゲームが反転するのである。
*2


これは一見して馬鹿馬鹿しいように見えるが、現実でも展開されている。
例えば最近のVIPでの楽天ポイント祭りなどで、いかにリスクを無視して
みかんを大量に届けさせるかを競うのも、(偽)チキンレースの一つだ。
日常的には、老人の病気自慢やDQNの悪自慢などでよく見られる。
*3


また囚人のジレンマは繰り返しゲームになると性質が異なるのだが、
繰り返し形式は連載形式によく馴染むだろう。しかも有限回と無限回があり、
無限と思われていたものを突然有限に変えてAに移行させるのは常套手段だ。
つまり卒業や別離の機会では、BCの見栄は暴落し、Aが急騰する仕組みだ。


それと二人だけでなくn人ゲームでのツンデレの挙動も興味深い。
本当は、三角関係など他とのオークションの要素が潜在している。
例えばらんまはあかねと他の男がくっつくのを非常に嫌がるため、
Cに移行が可能になる。(具体的にはライバルにさらわれるなど)
*4


さらに一般化すると、これはお見合いもののパターンにあてはまる。
高飛車御嬢様は令嬢なので、見合いの機会があるのは自然だろうが、
貧弱な坊やとくっ付けられるのを嫌がり、主人公が実は恋人なのだ、
そう宣言して演技する、というパターンはよく見られる類型だろう。


だから「ツン→デレ」と「ツン・デレ」は別だが、状態遷移は可能だ。
よく「デレツンはありえないっ」とされるが、実はそうではないのだ。
「ツン・デレ→ツン」は、一時的な絶交状態としてたびたび描かれる。
「ツン→ツン・デレ→デレ」三段階図式は、OP・本編・EDに向く。


さてかなりツンディレを説明してきたが、前回同様大きな三つの課題は、
そのまま積み残してしまった。一つ目はツンデレのシミュレーション説。
あるいは、「現実/虚構」から「現実/モデル」へという移行について。
現実代替劣化コピーとして虚構を要請してはいない。そしてそのことは、
オタクと犯罪を結びつける先入観への批判などへと繋がっていくだろう。


二つ目は『デスノート』などと共有する「大きな物語」以降の限定状況。
これは『ファウスト』での福嶋亮大の限定状況としての家族説に通じる。
Fateひぐらし・東方は、いかに有限環境を設定するか、という試みで、
新しい同人空間の動きに、いかにツンデレが関係するか、は面白そうだ。


三つ目は「葛藤・ディレンマ・ダブルバインド」など古典理論との関係。
ここで少しだけ説明してみよう。古来からの物語の基本である「葛藤」
の代わりに「ツンデレ」という言葉を使うのにはそれなりの理由がある。
というのは、あくまでも個人での葛藤であるからだ。どういうことか。


高橋留美子シェークスピアを好むのか、作品中それらしい場面がある。
今まで言及した『らんま1/2』は『ロミオとジュリエット』の反転だ。
共同体によって個人の恋愛が引き裂かれるのではなく、押し付けられる。
許婚=運命は、ディレンマを回避する口実へと成り下がり、故に喜劇だ。


可能世界の中心で愛を叫ぶツンデレに萌えるのは、
われわれもまたそのような存在にほかならないからだ。

*1:http://www013.upp.so-net.ne.jp/gon/tundere/column/02.html

*2:ちなみに更に「先にイった方が負けだからな!」などと展開できる。

*3:わざわざ役に立たない大量のみかんを注文するからチキンゲームになる

*4:この点で『つよきす』は男キャラがライバルにならず惜しい。