なぜツンがデレに変わるのか?

0.
ツン→デレとツン・デレの二種類あることを前回話した。
今回はツンがデレに変わる基本的仕組みについて考える。
素朴に考えて、ふつうは嫌いなものは嫌いなままだろう。
お話・お約束だから、で済まさず強引に解釈してみよう。


1.
ツン→デレの場合、単に主人公に対して無知なだけで、
イベントを積み重ねれば、自然と距離が近づいていく。
一定の加速度を受けながら放物線を描く運動と捉えればいいだろう。
例えばボールを空に向かって投げて地面に落ちるまでの運動だとか。


初速=第一印象「なによあんなやつ!」→
放物線の頂点=緩やかに弧を描き嫌いから好きへと揺れ動く
「わたし、あいつのことをどう思ってるんだろう?」→
地面に落下=主人公の手に落ちる「もうどうにでもして…」


2.
だがツン・デレの場合、幼馴染など昔から知っているのだから、
なぜ今さら恋愛が起きるのか、という疑問が当然湧き上がってくる。
もし好きならずっと前にくっついているのではないか。
そうでないなら、なぜ今ごろになって好きになるのか。


こちらは環境の変化で化学変化を起こすモデルが適当かもしれない。
例えば、卒業が間近になったので、今までは言えなかったけれど、
「いま本当の気持ちを伝えないと後悔する!」だとか。
先のツン→デレの放物線とは違い、もともとあったデレの顕在化である。


3.
だが化学式は面倒なので、ここは代数的な比喩で済ませてしまおう。
ここでツン・デレをツン×デレと見たときに、ツンで割ればデレが残る。
ツン×デレ/ツン=デレ
(ツン≠0 デレ≠0 即ち 「必ずどこかで少しは意識している」)


ツンで割るとはどういうことか。ここではデレの逆数を掛けると見よう。
(1/ツン)だ。これは「ツンは水面下に置いて割りきっておけ」。
つまり、ツン意識的には逆境になる状況を起こしてやればよい。


4.(少しだけネタバレ)
つよきす』で主人公レオとカニがロープで結ばれて生活する場面がある。
なぜそうなったかといえば、運動会の二人三脚の練習だ。(細かい事情は割愛)
『らんま1/2』の主人公らんまとあかねも、そんなシチュがよくあるだろう。


運動会で勝てば焼肉が食えるというエサに釣られて、
カニはツンを割り切って一緒に練習するのだが、
その結果面白いようにデレが残る(素直さが出る)。


これは、照れなど外的な事情でいつも喧嘩しているが、
本当は嫌いではないので、強制的に行動を共にしてみると、
意外とまんざらでもないという、食わずぎらいのパターンだろう。


5.
ここで補足すると、なごみにも強制的イベントはあるが、やはり異なる。
前者は「ツン(-10)+デレ(1)=ツン(-9)」のような加算モデルで、
出来事を積み重ねて時間的に少しずつ変化するのが趣向だが、
後者は乗除モデルで、いっぺんに正負の符号がひっくり返るのが趣向だからだ。


つまり、過去の思い出や現在の腐れ縁という一種の恋愛不良債権が、
シチュ一つで瞬時に理想の恋愛に変化してしまうという急騰っぷりが魅力なのだ。
ここら辺の事情を理解しないと、どれも単なるデレの予定調和にすぎなく見える。


だからなごみは美人だが距離が遠く、対して「出涸らし」と呼ばれるカニは、
距離が近いが不自然なまでに不良債権感を漂わせる。両者は全く対照的である。
なごみは落とすのが難しいと思わせる、カニは今更落とす価値がないと思わせる、
ここら辺に設定の妙があるわけだ。整理すると接近の魅力と反転の魅力。