書籍『物語工学論 入門篇 キャラクターをつくる』(新城カズマ)

概要

物語工学論

物語工学論

(……)古今東西の物語に登場する人物を題材に「キャラクターの類型」を分析。いかなるルーツを持ち、それが変遷を経て現在の類型に集約されていったのかを物語論的視点から解説。キャラクター作成用のチャートや、参考作品リストを掲載。大ヒットライトノベル作家である賀東招二氏と著者の対談も収録。(帯文)

「不思議な生き物<物語>の解剖書」

今回紹介する『物語工学論』は、物語制作の実用書。21世紀初頭の日本で流通する「キャラクターの類型」を7パターンに分類する。そのルーツを古今東西の物語に探して、その分析結果を実用的なキャラクター作成用のチャートに仕上げた。

著者の新城カズマ氏は、現役の小説家にして、第27回星雲賞を受賞したSF小説『サマー/タイム/トラベラー』の作者。また、『ライトノベル「超」入門』というガイドブックも手がけている。

また、累計800万部の『フルメタル・パニック!』の著者・賀東招二氏は、新城氏がグランドマスターを務めていたメールゲーム『蓬莱学園』の企画に携わっていた。そのような二人の対談で、物語作りの現場から声が聞ける。

解説

キャラクターの7類型
  1. さまよえる跛行
  2. 塔の中の姫君
  3. 二つの顔をもつ男
  4. 武装戦闘美女
  5. 時空を超える恋人たち
  6. あぶない賢者
  7. 造物主を滅ぼすもの

本書では、上の7パターンにキャラクターを分類した。これらはいずれも、対立要素を抱えている。文化記号論の学者であるロトマンは、物語の主人公を内外の境界を越境するものとしたが、その辺りからもかなり洗練された分類だ。

具体的にどういう類型なのかといえば、たとえば「塔の中の姫君」は『シンデレラ』、「時空を超える恋人たち」は『ロミオとジュリエット』をイメージすると分かりやすくなる。前者は家と城、後者は家同士の、断絶や対立がドラマを生む。

もうひとつ、「二つの顔をもつ男」も見てみよう。このキャラクターは、法と正義という立場を使い分ける。これはたとえば、『スーパーマン』『バットマン』のようなヒーローものをイメージすれば分かりやすい。いずれも表の顔と裏の顔を持っており、変身することで別の顔を見せる。

この類型があてはまるのは大昔の古典だけではない。「塔の中の姫君」は『ルパン三世カリオストロの城』、「時空を超える恋人たち」は『タイタニック』、「二つの顔をもつ男」は『デスノート』のライトという風に、現代の物語の最前線にもあてはまる。

実用書志向の本書では、「物語の暗算」を可能にする「武道の型」として、キャラクター・パターンを提示している。そこで、応用が利くように、過度に抽象的にも具体的にもせず、イメージが湧きながら様々なキャラクターを網羅できる、上の7パターンにしてあるのだろう。

「二つの顔をもつ男(女)」のツンデレへの応用

さらに、「ツンデレ」も「二つの顔をもつ男(女)」の亜種と捉えることができる。後半は応用問題として、本書の内容を踏まえた上で、私の考察を展開して、ツンデレの問題を掘り下げたい。

ツンデレが、単なる照れ(「あなたのためじゃないんだからねっ!」)として描かれると底が浅くなる。ツンデレは多くの場合、「公私で別の関係を持つ」という、もっと深い二面性を備えている。どういうことだろうか。

たとえば、「あなたのためじゃない」とツンデレが言い訳するときに、社会的任務を口実にすることがよくある。作品例としては、『らんま1/2』であかねがらんまと一緒にいるのは、親が決めた許嫁だから*1だとか、『ゼロの使い魔』でルイズが才人を側に置いているのは、使い魔という主従関係にあるからだとか。

ツンデレで用いられやすいラブコメ・パターンとして、「親が勝手に決めたお見合いを破談にするために、恋人同士だと嘘をつく」「学園祭の劇で恋人同士を演じる」「パンを加えて登校してぶつかった相手が転校生」といったものが挙げられる。だがそれらも結局、「公私で別の関係を持つ」ことにほかならない。すると、公私の越境という点で結局、「二つの顔をもつ男(女)」のバリエーションとして捉えられるのだ。

つまりツンデレは、公(みんなに見せる外面)で「ツン」、私(自分の内面*2)で「デレ」と、二つの顔を使い分けている。そして、お見合いや学園祭での演技が演技でなくなる(本心があらわになる)という、「公私が重なる領域で、デレの顔が垣間見える」のが、ツンデレの黄金パターン*3になっている。

そしてツンデレがついに素直になれるのは、公私の落差が消えた状態だ。具体的には、二人以外の他者が知るところの仲になったとか、ツンデレが尊敬する父性的人物が認めたとか。そうして顔を使い分ける必要性がなくなり、物語の水車を回すエネルギーもなくなったとき、ツンデレのキャラクター≒物語は終焉を迎える*4

「〜じゃないんだからねっ!」という、紋切り型のツンデレ・セリフを言わせるだけなら誰でもできるが、ツンデレの名作は、もちろんそれだけではなく、今まで述べた公私の設定が上手い。猫耳が描ければ「でじこ」がデザインできる、というわけではないのと同じだ。

結び

さて、本書は文章そのものが、読み物として成立している。つまり、「物語工学論」自体が「物語」のように読める。文章作法本には、原稿用紙の使い方などの基本的な約束事を説明したものもあるが、本書は更に物語の本質的な部分に踏み込んでいる。「入門篇」とあるので、次の本も楽しみだ。

*1:ちなみに、らんま・あかねの「ケンカばかりしている許嫁」という関係が、『ロミオとジュリエット』を反転したパロディになっているのも興味深い。『ロミオ』は家の対立によって恋人が引き裂かれる悲劇だが、『らんま』は許嫁という取り決めを口実にしているツンデレ同士の喜劇だ。そのように裏返ってしまう背景に、社会に個人主義が広まったことで、重みを失った「家」は、喜劇の題材にしやすくなった、というのはあるだろう。この作品は他にも、本書の分類に従えば、主人公のらんまは「二つの顔をもつ男」で、その一方の顔が「武装戦闘美女」だとか、興味深い要素が見受けられる

*2:自分で自覚していないことも多い

*3:これは公私あるいは虚実の弁証法だ。そして現在の物語環境では、対立・葛藤・解消という劇的過程が、ライバル関係からツンデレ関係に移っている

*4:一般に、物語の終わり時は、最初にあった対立による落差がなくなったとき、あるいは喪失が回復したときだ。