物語の「リアル」とは何か

形と力

物語における「リアル」とは何か? 大昔からある議論だが、ここでは下記のように、大きくふたつの意味で捉えたい。

  • 「形」のリアル
    • 現実と同じ形という意味
  • 「力」のリアル
    • 現実を動かす力という意味

写実画のリアルさは現実の像との近さなので、物語で言えば事実性に相当するだろう。たとえば、職業ものマンガのリアルさは、漫画家や原作者が取材・調査した、その業界の実態にある。さらに、自動車や銃といった機械の、細部の描写を追求したものにもあてはまる。

いっぽう、現実に関係ない荒唐無稽な架空の世界を描いても、リアルだと評されることがある。その原因となるのは、感情と結びつきやすい、暴力や性や金のリアルさだろう。生々しいそれらの要素は、現実を動かす力を持っている。したがって、感情を動かすドラマを形作る力にもなるのだ。

誰しも物語を鑑賞している時点で死んだことがないはずだが、「死」は最もリアルな出来事に感じられるだろう。人の感情や行動を変える力が、死には備わっているから、物語展開に説得力が生じるのだ。登場人物が「何となく」行動するのでは納得しないが、「誰かが死んでしまうから」という動機なら納得するだろう。

ドラマの力強さは、登場人物が葛藤する、その動機の強さが決める。ドラマとは、登場人物の何かを成し遂げたい動機(正)があって、それを阻む障害(反)を、乗り越えていく(合)、弁証法的過程のことである。そして、暴力(死)・恋愛(性)・金*1は、きわめてリアルな動機になりうる。

だから、ケータイ小説の読者がいう「リアル」*2とは、写実的な文章だということではなくて、感情を動かす「力」があるということだろう。この感情は年齢と共に移り変わるので、「少年誌のリアル」と「青年誌のリアル」では違う。

一例として、「学園もの」という同じ設定でも、マンガの少年誌では読者の少年*3にとって現実に近いが、エロゲのユーザーの成年にとっては、ノスタルジーの対象になる。そのように現実との距離が違えば、リアルさの質も異なってくるだろう。

しかし、「リアルでなければ価値がない」ということはない、と最後に補足しておく。ほのぼのとした四コママンガなどは読者が多い。それを読むと、世知辛い世間から離れてひと息つける。新聞の四コマなどに、『闇金ウシジマくん』のごときリアルな作品が毎日掲載されていたら、うつになる人が増えてしまうではないか。だから、フィクションらしいフィクションにも価値があるのだ。

*1:もちろん、王道的物語では、主人公が直接欲しがらない。しかし、親しい者の借金を返す、といった形で関わることがある

*2:これはかなりステレオタイプなものを想定しているが、本題ではないので、ここでは分かりやすさを重視する

*3:これもここではとりあえず建前に従い、少年誌の読者は少年としておく