本を読む理由は何か

本を読まない人間

けど、本を読まない人間にいくつか反論されて、言い返せなかった。
いわく、「そんな本読んでなんの役に立つの?」

趣味は、一般的にあまり何かの役に立たないだろう。だが、手段ではなく目的なら、役に立たなくて構わない。すなわち、本を読むことによって何かをするのではなく、まさに本を読むこと自体が目的であれば、「役に立つ」という手段としての基準を当てはめる必要はないのである。

しかし、本というメディアについてもう少し考えてみよう。たとえば、テレビと比較することで本の特性を明らかにする。テレビ(特に全国放送のゴールデンタイム)の情報は共通性を持つ。すると、相手が知っている話題の方が話が通じやすいため、職場や学校でコミュニケーションの話題に適す。

いっぽう、本(特に専門書・実用書)の情報は専門性を持つ。これは逆に、その希少性に価値がある。誰でも知っていることを書く専門書は不要だ。もちろん、深夜放送と大衆紙ではその知名度が逆転することもあるだろうし、衛星多チャンネルやネット動画の普及で位置付けが変わる面もあるだろうが、まだテレビの視聴者の方が、話題の共通性が強いだろう。

マイクに無指向と単一指向があり、銃にもショットガンとライフルがあるように、共通指向か専門指向かという使い分けの問題として捉え、「本を読まない人間を軽蔑」(あるいは逆に「勉強してる気分になりたいだけなんじゃないの?」)というような自意識バトル・優越感ゲームの枠組で捉えなければよい。

家や車を買うときに、ライフスタイル(たとえば子供がいるかどうか)を選択の基準にするのは自然だろう。それに比べると本は趣味だし少額の消費なので、そういったことは考えないかもしれない。しかし、十年単位くらいの長期的視点で見れば、それが人生に影響を及ぼすこともありうる。結局、何をすればいいかというと、自分の条件に応じて選べばよいのである。