ロングテールの死角

ロングテールの帝国

ロングテールの帝国 - 萌え理論Blog

原理的に、規模が大きくなればなるほど、細かい需要に応える商品が揃えられる。ここがかつての大量生産・消費と全く違う。

旧世紀の大量生産・流通・販売・消費のシステムと異なり、「ロングテール」においては、規模が大きくなればなるほど、消費者の細かい需要に応えられる。市場を隙間なく塗り潰しつつ増殖していく様は、競合する小売にとって脅威だろう。

「AとBを買う客は、CよりもDを買う傾向がある」というような、購買履歴や統計情報を参照して商品提示を最適化する、「リコメンド」による個々の客への細かい対応が、単なる大型書店と違う。規模が大きくなるほど統計が充実してますます精密になる。

さらに論点を加えると、出版市場の規模が縮小しているのに、新刊点数が増大しているというのも、ロングテール市場に追い風だろう。一般の書店は面積を容易に増やすことはできないから、欲しい本が店頭で見つからず、ますますネットで検索する。

これが急速に成長している「ロングテールの帝国」の強さなのである。だが死角は全く存在しないのだろうか。ここでは消費者側の視点から、ニッチを全て取り込もうとするロングテールが、それでも取りこぼしたものを考察しよう。

欠如の欠如

私自身の素朴な経験として、アマゾンは便利だが、買い過ぎて困ることがある。「おすすめ」のリストを見れば買う対象には困らないが、むしろどの商品を買わないで減らすかに悩むのだ。ワンクリックでポンポン買うと後で出費に泣くので、時間を掛けてカートから削るようにしている。対して、本屋で一度に買い過ぎない。重いからだ。

ネット書店には、欠如が欠如している。たしかに便利だが、便利過ぎるために、需要を後ろに追い越してしまう。たとえば、魚を釣るときに最初から魚屋で買ったり、山に登るときに車で頂上まで行ったり、それでは意味がないだろう。本を探すのも、探す過程自体を楽しむところがある。時間を掛けて見つけた本を、帰りに喫茶店で読んだりするのは楽しい。

また、リコメンド機能で推薦されてくる書籍は、私の購買履歴を参照しているから、確実に私が最も欲しいはずの本である。しかしときには、その保守的な選好に退屈するときもある。

どれだけ統計情報が集まり法則が精緻化しようとも、それは私の行動を法則化したものであって、その法則に私が従って行動しているわけではない。端的に、データベースには過去のデータしかない。しかし、人間の行動は変化して新しい未来に進むのだ。

当たり前だが、本屋の店頭は私の好みに合わせて本を並べていない。だから、思いも掛けない本に出会うことがある。出会いは新しい出来事であって、過去の購買履歴から自動的に導き出したわけではない。「欠如の欠如」は「他者の欠如」でもある。

ポストモダンアフィリエイト

買う側が機械ではなく人間である以上、合理化の外にある人間的な冗長性を求めている部分もあるはずだ。便利、便利、というものの、便利過ぎて買い過ぎるので、アマゾンのサイトに行かないこともある。

しかし、それを指摘するだけでは甘い考察だろう。なぜなら、アマゾンにはアフィリエイトの仕組みがあり、それがシステムの機械性を補完しているからだ。

アフィリエイトは原理的に、売れた分だけしか紹介者に報酬を支払わない。だから、アフィリエイトは合理性を損なうことなく、人間性・他者性を取り込む。チェーンストアやフランチャイズでは、いまだ近代的で単一的なマニュアルが支配している。だが、アフィリエイトには、ポストモダン的な多種多様性がある。

書評ブログなどを巡回すれば、適度に本を探す楽しみが味わえるので、前述の機械性が解決する。かつての書店は地域コミュニティの一部だったろうが、今のブログは別のコミュニティを形成している。そのようにして、コミュニケーションの部分まで押さえられてしまう。

マンガ喫茶メイド喫茶

代替が利かないので競合しないものもある。たとえば、私はアマゾンを利用するからといって、マンガ喫茶を利用しなくなることはない。外を歩いて疲れたので座って休みたいだとか、飲み物が美味いとか景色が良いとか、ネットに還元できない理由がある。図書館もそうだ。それにマーケットプレイスとやや重なるが、新古書店も利用の方向性が違う。

マンガ喫茶では、買わない本を読むことができる。つまり、手元に置いてコレクションし、何度も読み返すというほどファンではないが、一度は読んでおきたいようなマンガをパラパラ読むことができる。ネットでもストリーミングに近い形態の閲覧ができなくもないだろうが、複製の問題があるのかまだ見ない。

さらに、マンガ喫茶の中にはメイド喫茶を兼ねているところがある。これはネットでは代替できない、完全に別のカテゴリだ。合理性を追求していくと、ロングテールには勝てないので、もし取り込まれずに残るとすれば、メイド喫茶……のような何かではないか。ただし、メイド喫茶が全国展開すれば、やはり大資本が運営することはありえるだろう。